【死を恐れないネイティヴ・アメリカンの哲学】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839700850
日本が本格的な高齢化社会に突入し、今後はたくさんの方が亡くなる「多死社会」になると予想されます。
身近な人が亡くなるのは、人間の精神に大きなダメージを与えるため、今後生きる人は、「死生観」をきちんと持たないと、厳しい時代になる。
そこでご紹介したいのが、本日の一冊『今日は死ぬのにもってこいの日』です。
以前ご紹介した、バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』を読んで気づかされましたが、個人主義はその人物が死んだ瞬間、獲得したものがすべて失われるので、じつは虚しい。
※参考:『呪われた部分 有用性の限界』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480087478/
「好きなことをやる」だけの人生哲学には、限界があるのです。
『今日は死ぬのにもってこいの日』は、ネイティヴ・アメリカンの死生観が学べる、貴重な一冊。
原題は『MANY WINTERS』で、人生の終わりをイメージさせるものですが、内容はじつに前向きで、生きるエネルギーに満ちた一冊。
さっそく、ポイントをチェックして行きましょう。
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もしもおまえが 枯れ葉ってなんの役に立つの? ときいたならわたしは答えるだろう、枯れ葉は病んだ土を肥やすんだと。おまえはきく、冬はなぜ必要なの? するとわたしは答えるだろう、新しい葉を生み出すためさと。
わたしは知っている、わたしは傷を負ったが 年ごとに新しい葉で身を装う木のようにそれがひとりでに癒えてしまったことを。わたしは知っている、かつては悲しみにうち沈んで歩いたこともあったけれど わたしが今憶えているすべては 心安らぐ、あの秋の光だということを。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。今日は死ぬのにもってこいの日だ。わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。わたしの畑は、もう耕されることはない。わたしの家は、笑い声に満ちている。子どもたちは、うちに帰ってきた。そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
おまえは見ることができる、わたしたちが矢のように折ってしまった夢を。あるいはわたしたちが辿ったすべての道がたくさんの悲しみに覆われているのを。しかし、もし大地がおまえの身内に生きていて おまえがその根を自分の血で育てるならば おまえは樹木のように高く伸び 月もおまえの勇気を讃えて、微笑むだろう。
鷲は改まって、こう言った。君が住んでいる小さな世界などあんまり重要ではない、と思えてくるような「飛翔の時」というものが、この世にはある。君の目を天空に向けるべき時間があるのだ(中略)熊は立ち上がって、こう言った、友達の風采の真似などしたくなくなる「自尊の時」というものがある。君自身と親しく向き合う時間
があるのだ
たとえそれが、一握りの土くれであっても 良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。たとえそれが、野原の一本の木であっても 信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。たとえそれが、地平の果てにあっても 君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。たとえ手放すほうがやさしいときでも人生は、しっかりつかんで離してはいけない。たとえわたしが、君から去っていったあとでも わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。
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詩のような美しい文章で、最初はよくわからなかったのですが、途中からこれは人生訓なのだと気づきました。
資本主義の考え方への異論もあり、生き方を考えさせられる深遠な内容です。
渡部昇一さんの『終生 知的生活の方法』で紹介されていたので読んだのですが、これは読んでみて大正解でした。
※参考:『終生 知的生活の方法』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594080774/
オススメの一冊です。
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『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド・著
フランク・ハウエル・画 金関寿夫・訳
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◆目次◆
※特にないので省略します
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