2006年10月3日

『資本主義に徳はあるか』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/431401010X

本日の一冊は、ソルボンヌ大学で教鞭をとる気鋭の哲学者が、「資
本主義に徳はあるか?」という疑問に迫った注目の論考。

現代社会を、「4つの秩序」という視点から読み解き、われわれが
直面するモラルハザードの本質に鋭く切り込んでいます。

本書でいう「4つの秩序」とは、1.「経済―技術」2.「法―政
治」3.「道徳」4.「倫理あるいは愛」のことであり、それぞれ
高次の秩序が低次の秩序を制限しないと、われわれの社会はおかし
なことになってしまう、というのです。

本書の主題となっている「資本主義」は、この分類で言うとまさに
低次の秩序に属するものであり、それ自体が道徳を含むものではあ
りません。

よって資本主義に道徳をゆだねたり、ましてや倫理や愛をゆだねる
のはおかしい、というのが著者の論の帰結なのです。

ただでさえもシニカルな論調の著者ですが、その最たるものは、資
本主義の本質を突いた以下の主張ではないでしょうか。

「資本主義国では、賃労働者たちは顧客のために用いられるのであ
り、顧客は株主のために用いられるのです。これが商売と呼ばれる
ものです。これがお気に召さなければ、どうぞほかへお行きください」

本書を読むと、世にいう社会貢献活動のほとんどが、本質的議論を
欠いている、ということに気がつきます。

システムに振り回されないために、また人間として大切な「何か」を
失わないために、ぜひ読んでおきたい一冊です。

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■ 本日の赤ペンチェック
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三〇ないし三五年前に、政治が道徳のかわりをはたしうると思いこ
まれたのは、あきらかに誤りでした。ですがこんにち、いくら「人
権」とか「NGO活動」と名前を変えたにしても、道徳が政治のか
わりをはたしうると思いこむ、あるいは思いこませるとしたら、そ
れも誤りです

極端に図式化して言うなら、政治的な問いとは正義と不正にかかわ
る問いであり、道徳的な問いとは、善と悪、人間的なことと非人間
的なことにかかわる問いです

資本主義は、それが機能するのに意味など必要としません。しかし、
個人には意味が必要です。文明もそうです

無神論を標榜すれば、道徳の問いは抹消されると信じた人びとは、
あまりに素朴すぎました! むしろ事態は逆です。私たちが宗教を
欠くようになればなるほど、それだけ私たちには道徳が必要となるのです

生物学が生物学に、経済学が経済学に制限を設けることができない
ように……――、私たちにできるのは、この秩序に外がわから制限
を設けることだけなのです

主権には制限はないにしても、「限界」があります。主権者である
とは、万能であるということではありません

市場には信頼が必要であり、市場はそれを裏切る者たちを罰します。
ですが、この信頼にしても、処罰にしても――ちなみにそれこそが
これらを実効的なものにしているのですが――、道徳に服するもの
ではありません

資本主義国では、賃労働者たちは顧客のために用いられるのであり、
顧客は株主のために用いられるのです。これが商売と呼ばれるもの
です。これがお気に召さなければ、どうぞほかへお行きください

合法イコール善ではありません。非合法イコール悪ではありません。
このちがいを忘れさって、合法的であることを尊重するだけで満足
してしまうなら、そのひとはすでにして民主主義的野蛮のうちにい
ることになります

そうです。私が人類の古典のなかに見いだしたのは顧客尊重ではあ
りません。それは隣人の尊重だったのです(中略)顧客とは金銭関
係のうえでの隣人のことです

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『資本主義に徳はあるか』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/431401010X
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■目次■

第1章 道徳の回帰―いまなぜモラルが問われるのか
第2章 四つの秩序―なにがどこまで許されるのか
第3章 資本主義に徳はあるか
第4章 混乱する秩序―滑稽さと圧制、純粋主義と野蛮
対話篇

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