【知の巨人からのメッセージ】
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本日ご紹介する一冊は、「知の巨人」と言われた立花隆氏(享年80)が、東京大学で行った最終講義の記録。
70歳になってようやく、「二十代の若者に何か言い残しておこうかという気持ちになりました」という著者が、6時間にわたって行った講義をまとめたもので、(場所は文藝春秋の大きなホール)話は死、マラルメ、自身の20歳の頃、物理、宗教、スーパーコンピュータ、ヴィーコ、デカルト、世界史、地理、社会とめまぐるしく変わって行きます。
こんな多岐にわたる話題を、20代へのメッセージとしてまとめ、知の作法を伝える著者は、やはり只者ではなかったのだと実感しました。
著者は、74年に『文藝春秋』に発表した「田中角栄研究ーーその金脈と人脈」で時の総理大臣を退陣に追い込み、社会に衝撃を与えた人物ですが、他にも、当時タブーだった「死」を扱ったテレビ番組を作ったり、言論の世界に衝撃を与えけた人物です。
そんな方が、歯に衣着せずに、20代のやってしまいがちな過ちやその原因、知的であり続けるための視点やヒントをくれるわけですから、これが面白くないはずがありません。
デカルト座標が、われわれ人間のモノの見方に与えた影響に関する記述は、なるほどと唸らされました。
<デカルト座標が人類を本能的な極座標思考様式から解き放った>
デカルト座標は、「マトリックス」などと言われてコンサルティングの世界でも使われていますが、著者に言わせると、こんなに深い話になるのですね。
土井もこれから、若者の前で講演する時には、引用しつつ伝えたいと思います(笑)。
さっそく本文のなかから、気になったところを赤ペンチェックして行きましょう。
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先決問題はやはり先に考えておかないと、必ず後で問題が起きます
若いときに犯す大失敗の原因でいちばん多いのは「思い込み」
「事件の影の部分」以上に、この社会には「そもそもの影の部分」というか、闇社会あるいは社会のダークサイドとしか言えない部分があって、そこはそもそもメディアがカバーする範囲に入っていない
マスコミの世界とサイエンスの世界に共通して必要とされる精神が、「職業的懐疑の精神」(professional skepticism)です。それがいかにも本当らしく、自分としては信じたい話でも、まずは「本当にそうか」と徹底的に疑ってみて、その信憑性をとことん確かめるまで信じないという精神です。この精神がない人はサイエンスの世界でも、マスコミ界でも落第生になります
結局、人間に何ができるかは、その人がそれまでになした仕事の量と質両面の関数値です
人間は、極座標空間思考に長じることによって短期的利益を極大化させることができましたが、長期的利益を得るという観点からは、しばしば失敗を重ねてきました
僕は学生時代から今に至るまで、頭の中に自分で考えるべきアジェンダがいっぱい詰まっているタイプの人間でしたから、他人にあまり鼻面を掴んで引きずり回されるということがありませんでした
ひとつは、語りうることはすべて明晰に語りうるのだから明晰に語れということ。もうひとつは、語りうることと語りえぬ
ことの存在空間は違うのだから、それを混同した解の求め方をしてはならないということ
どこかで、脳が若さを保っている間に、情報の受け手から発信者に転ずる必要があります
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著者が長崎出身ということで、生前に一度お会いしたかったなと後悔しましたが、本書を何度も読んで、著者の思考に迫りたいと思います。
知の作法、人生前半から最期にいたるまでの処世の書、そして若者へのエール。
何だか、妙にエネルギーをいだたいた一冊でした。
ぜひ、読んでみてください。
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『立花隆の最終講義』立花隆・著 文藝春秋
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◆目次◆
第一章 [序]
第二章 [死]
第三章 [顧]
第四章 [進]
第五章 [考]
第六章 [疑]
あとがきにかえて 立花隆さんへの手紙
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