【韓国で驚異の35万部】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478113289
本日ご紹介する一冊は、韓国人初、東アジアでも初となるロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)弁護士となった著者が語る、教養としてのラテン語講座。
ラテン語のなかから、われわれの思想やリベラルアーツの原点となった言葉、概念を紹介し、そこからさまざまな雑学を展開する、じつに知的好奇心あふれる一冊です。
ラテン語、西洋史、宗教、哲学に精通している著者だからこそ書けた、素晴らしい教養書だと思います。
イタリアから戻った著者の授業は、口コミで評判となり、聴講生が数百人にのぼり、その授業を再現した本書は、韓国で35万部を売り上げたそうです。
グローバル基準の教養が書かれた本ですから、人口が2倍以上いる日本では、本書が100万部近く売れる計算ですが、果たして今の日本人にどこまで売れるものか…。
ラテン語とキリスト教が西欧の教養の基本にあることがわかっていれば、きっと本書の価値もわかると思うのですが、どちらにも関心がないのが、ひょっとしたら日本人がグローバル化できない真の理由なのかもしれないと、本書の書評を書いていて思いました。
せめてBBMの読者にだけは読んでもらいたい。仮にご本人が興味なくても、子どもには読ませてあげて欲しいと、切に願う一冊です。
著者がラテン語から得た教訓、読者への励ましの言葉なども書かれていて、ラテン語の勉強+自己啓発といった趣の内容です。
人生訓としても読めるので、ぜひ肩肘張らずに楽しんで欲しい一冊です。
本文のなかから、さっそく気になったところを赤ペンチェックして行きましょう。
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「no、non、ne、nein」などの否定の副詞は、インド・ヨーロッパ祖語の“否定”を意味する概念である「夜に流れる水の曖昧さ」から生じました。古代人は真っ暗な夜を、「明るい海の動きが止まり、暗い海の水が地面に流れ出て生じる現象」だと考えていました。ゆえに古代人は、何も見えない夜に「何が見えた?」と尋ねると「水だけ見えた」と答えていました。これは、「何も見えなかった」ということを認めている表現です
ラテン語の特性のひとつに、相手を尊重し認めるという点があります。私たちがしばしば丁寧語の範疇で使う「お控えください」「ご注意ください」といった言葉は、ざっくり言うとラテン語的な表現です。「するな」「注意しろ」のような命令形ではなく、行動の主体である相手を尊重していますよね
知識を得る行為そのものが学問の目的になってはいけません。学問とは、知るだけに留まらず、その知の窓から人間と人生を見つめ、より良い観点と代案を提示するものでもあります
修道者たちが身に着けている「habitus(修道衣)」から、毎日同じ時間に同じことをするという意味で「習慣」が派生した
与えよ、さらば与えられん Do ut des
その後も「Do ut des」は、国際関係や条約の中で、相手国が友好的であれば友好的に、非友好的でなるなら非友好的に対応するという相互主義の土台となりました
人生は、他者を思いやることで完成する
「ベアティトゥド beatitudo」というラテン語があります。「幸せ」を意味する言葉で、動詞「ベオ beo」と名詞「アティトゥド attitudo」の合成語です。beoは「幸せにする、喜ばせる」という意味であり、attitudoは「態度や姿勢、心の持ちよう」を意味します
sexの由来は数字の「6」だった
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土井はギリシャ留学中、現代ギリシャ語をちょっとだけかじりましたが、これを読んで本格的にラテン語、古代ギリシャ語を学びたくなりました。
現在揺れ動いている国際情勢を考えるための基礎教養も紹介されており、原点を知ることの大切さを学びました。
ぜひ、読んでみてください。
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『教養としてのラテン語の授業』ハン・ドンイル・著 ダイヤモンド社
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◆目次◆
日本語版刊行に寄せて─叡知の貯蔵庫としてのラテン語
Lectio I 胸に秘めた偉大なる幼稚さ
Lectio II 最初の授業は休講します
Lectio III ラテン語の品格
Lectio IV 私たちは学校のためではなく、人生のために学ぶ
Lectio V 長所と短所
Lectio VI ひとりひとりの“スムマ・クム・ラウデ”
Lectio VII 私は勉強する労働者です
Lectio VIII カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい
Lectio IX たとえ神がいなくとも
Lectio X 与えよ、さらば与えられん
Lectio XI 時間は最も優れた裁判官である
Lectio XII すべての動物は性交後にゆううつになる
Lectio XIII あなたが元気なら、よかったです。私は元気です
Lectio XIV 今日は私へ、明日はあなたへ
Lectio XV 今日を楽しみなさい
Lectio XVI ローマ人の悪口
Lectio XVII ローマ人の年齢
Lectio XVIII ローマ人の食事
Lectio XIX ローマ人の遊び
Lectio XX 物事は、知っているものしか見えない
Lectio XXI 私は欲望する。ゆえに存在する。
Lectio XXII 韓国人ですか?
Lectio XXIII しかし、今日も明日も、またその次の日も、私は進んで行かねばならない
Lectio XXIV 真理に服従せよ
Lectio XXV みな傷つけられ、最後は殺される
Lectio XXVI 愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい
Lectio XXVII これもまた過ぎゆく
Lectio XXVIII 命ある限り、希望はある
感謝の言葉
監訳者あとがき
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