【森博嗣の勉強論。】
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昔、九州ベンチャー大学で講演した時に、「今の教育に欠けているものは何だと思いますか?」と聞かれ、「勉強の意義や楽しさを先生が語れないこと」とお答えしました。
人間が何かを学ぶ時には、まず意義’(Why)が先になければ頑張れない。また、面白さを感じるためには何(What)を学ぶかという部分で新鮮さがなければいけないとも感じています。方法論(How)はその後です。
本日ご紹介する一冊は、この「勉強」について、もともと勉強が嫌いだったけれど、大学時代になって毎日16時間猛勉強したという作家・森博嗣さんが語った一冊。
以前ご紹介した『お金の減らし方』もそうでしたが、森さんの本はいつも視点が面白い。
※参考:『お金の減らし方』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4815604231/
今回も、勉強について大人たちの欺瞞を指摘し、その意味と勉強が楽しくなる秘訣を語っています。
まだ勉強の意味がわからない子どもたちにどう勉強することの意味を教えるか、人に勝つため、社会的に成功するための勉強ではなぜダメなのか。
今回も、森節が炸裂しています。
さっそく、本文の中から気になった部分を赤ペンチェックして行きましょう。
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自分が作りたいものがまずあって、そのためには、どうしても釘を打たなければならないことが判明する。だから、釘の打ち方を勉強したい。そうなって初めて、その勉強に意味が浮上し、価値が生じる
文章が読めなければ、自分で学ぼうと思ったときに大きな困難が伴う。数字の計算ができないことも、自分の夢を実現する方法を試すときに障害となるだろう。基礎学力は、そういった意味で必要不可欠なものである。ただ、その学習は全然楽しいものではない。だが、のちのちの自分の可能性を狭めることにつながるので、騙されたと思ってやっておくしかない。子供たちにははっきりとそう教えることが必要である
勉強で自分を高めることができると、何が得られるのかといえば、それはまず「広い視野」であり、俯瞰による客観的な「観察力」、そしてまた、あらゆるものを遠望できる「予測力」、あるいは「想像力」である。これらは「高い」位置だからこそ可能になるもの、といえばイメージしやすい
そもそも「勉強をやらせるには楽しませるのが一番」という発想がかなり貧しい。人生には、辛いけれどやらなければならないことがあるし、また、楽しくてもやってはいけないことも数多い
人類は個人主義へ向かおうとしている。かつては、大勢で力を合わせないとできなかった労働は、機械が担うようになった。力を結集する必要はもはやない。みんなが同じことをするメリットは、完全に薄れている。それよりも、個人の才能をそれぞれに伸ばし、誰かが新しい創造や発見をすれば、その利益を大勢が享受できる、という社会になっている
「勉強」が人それぞれのものであるように、「楽しみ」も個人的なものである。大勢がいるから楽しいのではない。自分一人でも楽しくてしかたがない。そういう楽しさを知らない人がいる、というだけである
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教育関係者にとっては耳の痛い話かもしれませんが、本質を突いた議論だと思います。
受験が終わったらパタッと勉強をやめてしまう人と、社会人になっても学び続ける人はどう違うのか。
勉強の本当の価値とは何なのか。人生で大切なことを教えてくれる一冊です。
ぜひ読んでみてください。
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『勉強の価値』森博嗣・著 幻冬舎
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◆目次◆
第1章 勉強とは何か?
第2章 勉強は面白くない?
第3章 勝つために勉強するのではない
第4章 学校で勉強をする意味
第5章 教えてもらうことが勉強ではない
第6章 「覚える」と「気づく」の違い
第7章 本当の勉強はとんでもなく楽しい
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