2018年3月3日

『教養としてのテクノロジー』 伊藤穰一、アンドレー・ウール・著 vol.4973

【MITメディアラボ、伊藤穰一氏、未来を語る。】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140885459

テクノロジーが人間の社会、経済を大きく変えていきそうな予感から、未来を予見する本が売れています。

日販発表のビジネス書ランキングでは、ここのところずっと、以下の2タイトルが、不動の1位、2位です。

※参考:『お金2.0』佐藤航陽・著 幻冬舎
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344032152/

※参考:『日本再興戦略』落合陽一・著 幻冬舎
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344032179/

本日ご紹介する一冊は、これら2冊を上回る高い視点から書かれた、注目の新書『教養としてのテクノロジー』。

著者は、MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんです。

「スケール・イズ・エブリシング(規模こそすべて)」のシリコンバレー的考え方に「ノー」と言い始めたアメリカの現状、シンギュラリティ信仰の問題点、インチキなICOへの警鐘…。

これら行き過ぎたテクノロジー信仰に警鐘を鳴らす一方、テクノロジーを使った新たな未来の可能性も示しています。

「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という新しい「センシビリティ(Sensibility)」を考えることの必要性、ICOの健全化を目指すシリコンバレーの新ルール、自然をより正確に低コストでコントロールできる「自然通貨」の思想、パラリンピックが「障害者」の競技から「拡張者」の競技に変わる可能性と新しい倫理…。

テクノロジーの最先端と、それに伴う社会問題、倫理問題をどうするか、俯瞰した目線で書かれています。

さっそく、ポイントをチェックして行きましょう。

———————————————–

最近アメリカ国内においても、シリコンバレーのテクノロジー企業の振る舞いに対して、「ノー」を突きつける声が上がってきている

インターネットが成熟期に入った現在、検索エンジンはグーグル、SNSはフェイスブックといったように、特定のIT企業の規模が大きくなりすぎたことにより競争が起こりにくくなっています。イノベーションが失われると、ともすれば権威主義に陥ってしまう

1つに集中させるのではなく、たくさんの組織やサービスに分散させたほうが「レジリエンス(回復力、しなやかさ)」は高いはずだ(著者とリード・ホフマン氏の議論の結論)

シンギュラリティ教の人たちは、2045年にはAIが何でも解決してくれるようになり、自分たちも不老不死に近づくと信じている

「AIに人間の仕事が奪われたら、どうすれば良いでしょうか」と聞かれますが、それは大きな誤りです。人間はお金のためだけに<働く>わけではないからです

<働く>ことの意味を大きく変えるような動きはこれからも加速していくでしょう。そうすれば、お金のような経済的な価値のためだけに<働く>ことに疑問を持つ人はこれからもっと増えることになります。つまり、お金のためだけに<働く>のではない。「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要になってくるのです

「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という、新しい「センシビリティ(Sensibility)」を考えるには、とても面白い時期だと思います

自然界に存在するさまざまな「自然資本」を通貨やトークンの形で管理できるようになれば、ナチュラル・バランスシートができるはずです。目に見える形にすることで、改善を促すことができるようになるかもしれません

僕は「パラリンピックがいつの日か、オリンピックを超える競技会になる」ことをいつも想像をしています。人間が拡張の方向に大いに進んでいくだろうと予想していますし、それを可能にするテクノロジーが次々と登場しているからです(中略)パラリンピックが「障害者」の競技から「拡張者」の競技に変わったとき、必ず起こるだろうことは、「拡張することの倫理的な是非」です

アンスクーリングは、日本語に訳せば「非学校教育」という意味になるでしょうか。その名の通り、学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しないかのように子どもを育てるのが「アンスクーラー」と呼ばれるコミュニティ

———————————————–

静かな論調で、淡々と書かれていますが、今起こりつつあるテクノロジー変化の素晴らしさと恐ろしさが同時に伝わる内容でした。

本書を読むと、われわれが生きている世界の仕組みが、「よく生きる」という視点から見て、いかに不備があるか、よくわかります。

やがて起業家は、正しい志さえあれば、お金なしに事業を立ち上げられ、障害者は自己拡張によりコンプレックスを解消することができるようになる。

一方で、どうやって事業を評価するか、どこまでが人間なのか、倫理をどうするか、が問題になってくるわけです。

ぜひ読んで、身近な方と議論を深めていただきたい、そんな一冊です。

———————————————–

『教養としてのテクノロジー』
伊藤穰一、アンドレー・ウール・著 NHK出版

<Amazon.co.jpで購入する>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140885459/

———————————————–

◆目次◆

はじめに
第1章 「AI」は「労働」をどう変えるのか?
第2章 「仮想通貨」は「国家」をどう変えるのか?
第3章 「ブロックチェーン」は「資本主義」をどう変えるのか?
第4章 「人間」はどう変わるか?
第5章 「教育」はどう変わるか?
第6章 「日本人」はどう変わるべきか?
第8章 「日本」はムーブメントを起こせるのか?
あとがき

この書評に関連度が高い書評

この書籍に関するTwitterでのコメント

NEWS

RSS

お知らせはまだありません。

過去のアーカイブ

カレンダー