【世界の見方が変わる、松岡正剛のエッセイ集】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393333543
本日ご紹介する一冊は、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長で、読書家として知られる松岡正剛氏のエッセイ。
オビに、<「世」はすべて「擬」で出来ている>と書かれており、われわれの社会や文化において、いかに「擬」が重要な位置を示しているのかが明らかにされています。
金銭を稼ぐことが目的として成り立たなくなり、結婚の意味すらも曖昧になってしまった現在、人間の営みそのものを考えることに、とても大きな意味があると感じています。
本書では、われわれが前提として受け取っているさまざまな事柄を疑い、考察することで世の中の真実や本質を明らかにして行きます。
著者の物の見方に触れ、思考に革命が起こるのが、本書の最大の特長でしょう。
博覧強記の著者だけあって、主張を進めるにあたり、出てくる書籍の数や、人物の数が半端じゃありません。
良質な読書ガイドとしても、役立つこと請け合いです。
さっそく、ポイントを見て行きましょう。
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社会にはいろいろ継ぎ目があって、この継ぎ目にかかわるところには人知をめぐる「ゆるみ」というものがあり、手続きの「ぐあい」というものがある
微妙な継ぎ目と手続きにことごとく首尾一貫をもちこむと、社会は次から次へと責任問題の所在判定とその処罰とで埋め尽くされていく
カール・ポパーは「世界」を3つに分けて、世界1を物理生物的な出来事に、世界2を心的な対象と出来事に、世界3を客観的な知識の世界にあてた。一見、賢い区分のようだが、とてもつまらない。なぜなら、世の中はまぜこぜになっているからだ
「言ひおほせて何かある」は、表現できたからといってそれでどうしたの、何かをまっとうしたのという問いだ(中略)表現するなら高きを知って俗に降りてきなさい
できれば思索と仕事と表現のあいだに、科学やアートやコンピュータのあいだに、「寂」や「絶間」や「おもかげ」がのこるようにしたい
ぼくが注目してきた仕事師たちは、内と外のどこかをつなげ、内と外とをひっくり返していることが多い
どんな仕事も「あらわれている」を「あらわす」に変えようとすることで成り立っている
日本語の「世」とは、竹の節と節のあいだのことをさしている
日本では「定め」と「世間」と「諦め」とは同義語に近い
「消費の欲求こそ、それに対する生産の欲求にくらべてはるかに急速に模倣され、容易に広がっていく」(タルドの模倣論)
「模倣可能性こそが文明文化の蓄積だった」(タルドの模倣論)
結局、世の中は「発明されたもの」か「模倣されたもの」かで埋まっているだけなのである
人間の「世」の数々の営みの歴史のなかで、最も多くおこなわれていたことが何かといったら、おそらく交換(exchange)だったろう
モドキはそもそもが「何かのモドキ」であったのだから、そこには必ず「何かの」がくっついている。そして、その「くっついた何か」が日本文化の景色の中をずうっと摺り足で動いていく。ここが重要だ。日本の芸能は、この「何かの」を面影として継承するために「擬きの芸」に徹した
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タルドの模倣論やモースの贈与論などを引きながら、われわれの世界、そして最終的には「日本」を明らかにしようとする試みで、じつに知的刺激あふれる内容でした。
日本人が引き継いできたものが何だったのか、その本質がわかり、じつにスッキリしました。
読者が携わっている分野がどんな分野であれ、生産活動を行う上で、一つの指針となり得る一冊です。
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『擬(MODOKI)』松岡正剛・著 春秋社
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◆目次◆
抱いて/放して
きのふの空
エクソフォニー
顕と冥
予想嫌い
レベッカの横取り
模倣と遺伝子
ミトコンドリア・イヴ
歴史の授業
アーリア主義
猫の贈与
お裾分けの文化
カリ・ギリ・ドーリ
タンタロスの罪
「なる」と「つぐ」
孟子伝説
面影を編集する
擬
複雑な事情
マレビトむすび
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