2016年9月13日

『養老孟司の人生論』養老孟司・著 vol.4437

【「死」から語る人生論】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569831613

人生であれ、ビジネスであれ、受験であれ、意味ある時間の過ごし方をしようと思ったら、ゴールから「逆算」してみること。

本日ご紹介する一冊は、「死」から逆算して人生を語るという、一風変わった人生論。

著者は、解剖学者であり、東京大学名誉教授の養老孟司さんです。
ベストセラー『バカの壁』で記憶している方も多いのではないでしょうか。

本書『養老孟司の人生論』は、2004年にマガジンハウスから刊行された『運のつき』を復刊し、改題したものですが、高齢化社会の今読むと、また新しい発見があります。

「自分の死はどうでもいい」
「去年の自分と今年の自分では、からだを作っている物質は、ほとんど入れ替わっている」
「あたりまえの極限が美人」

など、現代的な価値観からすると、目からウロコの視点が示されており、生き方やあり方を考える、良いきっかけになります。

さっそく、気になったポイントを見て行きましょう。

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死ぬことを考えているのは、いまの元気な私です。でも「現に死にそうな私」は、「いまの元気な私」じゃない。そんなこと、あたりまえです。だからその二人は別人なんですよ

理屈で解決しないから、人間は具体的に人生を生きるんですよ。理屈で人生が全部わかるんだったら、わざわざ生きてみる必要も、死んでみる必要もないじゃないですか

いまの人は長生きがいいことだと思っています。だからこの「憂き目」なんて言葉は、思い出さないでしょ。源平から戦国までの時代なら、そんなこと、よくわかってましたよ。うっかり長生きしたばかりに、年寄りが一族滅亡の場に立ち会う羽目になる

物質的に考えたって、去年の私と今年の自分では、からだを作っている物質は、ほとんど入れ替わっているんですからね。現代人は「客観的な」人たちなんでしょ。客観的ということは、科学的ということで、それなら自分がどんどん変わるということは、物質的には認めなけりゃいけません。それなら「同じ私」なんて、ない

私の性格はネアカかネクラか。人はどっちにもなるんですよ、状況や頭の具合しだいで

どんなに独創的といわれる仕事でも、他人が理解しなかったら意味がないんです。ところが、他人が理解するということは、「同じことを考えてる」ということですからね

おかげさまで、ずいぶん幸せになりました。ということは、それまで我慢してたってことです

すでにやってしまった以上は、その結果がよいほうに向かうように、あとの人生を動かすしかない

ふつうの女性の顔写真を百人分集めて、コンピュータで重ね合わせます。そうすると、むろんいささかピンボケ顔になりますが、それでも美人になるんです

いわゆる常識では、「その人が選ぶのは対象だ」と思っているわけです。私はそうではなくて、自分が選ぶのは方法だと決めた

仕事は自分の人生の方法であって、仕事自体が目的ではないんですよ

◆「これを楽しむものにしかず」に至る三段階
第一段階:なにかをするとき、嫌いだけど、努力する
第二段階:なにかを好んで一生懸命にやる
第三段階:それをやっている過程を楽しんでる

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人間は変わって当たり前、という話を聞いて、本当に心が軽やかになりました。

また、「嫌いだけど、努力する」ことでやがて「これを楽しむものにしかず」の段階に至る、という話も、働く人にとっては重要なアドバイスだと思います。

キャリアの転換期にある方、人生の転換期にある方に、ぜひおすすめしたい一冊です。

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『養老孟司の人生論』養老孟司・著 PHP研究所

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◆目次◆

第一章 いずれ死ぬ
第二章 身を鴻毛(こうもう)の軽きにおいて
第三章 お勤めご苦労さん
第四章 平常心
第五章 変わらないもの
第六章 学問とは方法である
第七章 主義者たち
第八章 日本人は諸行無常
第九章 努力・辛抱・根性
第十章 若いころ
第十一章 現代を生きる

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