【世界一の免税店を作り、財産を全額寄付した男】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478005613
本日の一冊は、世界一の免税店DFSを創った人物であり、かつ儲けた4000億円を寄付した稀代の慈善家、チャック・フィーニーの評伝です。
金儲けに熱心で、コーネル大学に行ってからは、数多くの起業家の卵たちと交流。そこでもサンドイッチを作って売るのに明け暮れた少年。
そんな少年が、ひょんなことからDFSと出会い、彼らも成功させられなかった事業を軌道に乗せてしまう。
起業したての若者にありがちな「お行儀の悪い」もあったようですが、ハワイの観光の発展と日本経済の成長に支えられ、DFSは成功し、免税店ビジネスは軌道に乗ります。
しかし、もともと「金はかれの得点表だから稼ぐのは好きだけれど、それを持っていることは好まないんだ」と評されたフィーニー。
華美な生活を好む妻との間にすれ違いが生まれ、やがて二人は離婚。
そして富について疑問を感じたフィーニーは、最後にDFSをブランドビジネスの雄、LVMHのベルナール・アルノーに売却してしまうのです。
アンドリュー・カーネギーの思想に共感し、従業員たちに小切手を贈ったり、財産を処分したり。
およそ凡人では及びもつかない行動に、ただただ感心させられます。
文章が冗長で、読むのに骨が折れますが、この変わり者の人生を読める貴重な文献ということで、興味のある方は必読の一冊です。
ひょっとしたら、ブランドものが好きな日本人にとっては、裏側を知る、嫌な一冊かもしれませんね。
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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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つまりこれこそが富裕人の義務とすべきものである。まず、顕示や奢侈を戒め、慎ましく虚飾のない生活の範を垂れること。自分に依存する人々の正当なる願望に対して、慎ましいだけのものを提供すること。そしてその後に残った余剰の収入をすべて、自分が監督を任された信託財産として考えること(中略)そしてそれを使ってコミュニティのために最も有益な結果をもたらすことである(アンドリュー・カーネギー)
実際は当時三〇歳くらいだったフィーニーは会社が陥っている苦境も知らずに、アドラーの発想はすばらしい、必ず大成功をおさめると話して、次号カタログに自分の酒のパンフレットをはさんでくれたら酒の注文について手数料を支払うと申し入れた
成功の鍵は、いつもながら在庫を持たずにすむことだった。かれらが売っていた酒も車も、先行投資は一ドルも要らなかった。それに事業は「オフショア」だったのでアメリカの税を払わずにすんだ
この入札では『ツーリスツ・インターナショナル・セールス社』は、営業権取得の見返りとしてホノルル空港に毎年七万八〇〇〇ドルを、一九六二年五月三一日から五年にわたって支払うことを確約していた。新ターミナルの小さな小売店にしては莫大な金額だったが、フィーニーとミラーは観光客の増加にともなって免税業が上向きになることに賭けていた
日本人たちは免税価格に本気で驚いていた。日本は輸入品の高級コニャックやウイスキーに二二〇パーセントの関税を課していたのだ。東京では定価二五ドルのウイスキー一本が、この免税店ではたった六ドルだった
「かれはニナ・リッチの七ミリリットル入りを一瓶三ドルで一〇〇〇本売りたがっていました」と、パーカーは振り返る。「そこで『こうしよう。ひとつ一ドルで三〇〇〇本だ』と言ったのです。かれは受けてくれました。われわれは非常に安い価格で買い続け、莫大な利鞘が出るので徹底的に売り込みました。おかげで日本には、やがてニナ・リッチの巨大な市場ができたのです」
「酒とタバコをエサにかれらを引き入れて、腕時計を買わせたのです」と、フィーニー
フィーニーは富にとらわれることや、それにつきものの高価なものを当然とする意識にますます不快感を示すようになっていた
DFSを売り払ってから、チャック・フィーニーとアラン・パーカーはその売却益の中から、長年勤めてきた免税店の従業員たちに小切手を送るよう手配した。このためにフィーニーは二六〇〇万ドル、パーカーは一三五〇万ドルを取り分けた
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『無一文の億万長者』ダイヤモンド社 コナー・オクレリー・著
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◆目次◆
プロローグ
第I部 蓄財
第II部 潜伏
第III部 分裂
第IV部 寄贈
著者のメモと謝辞
訳者あとがき
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