http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093660522
本日の一冊は、おそらくBBM始まって以来、ほとんどご紹介した
ことがない「マンガ」です。
「世界のホンダ」の創立者、本田宗一郎の生涯をマンガでつづった
もので、本田宗一郎の生誕100周年を記念して出版されたもののようです。
本田宗一郎には、数多くの武勇伝やエピソードがありますが、本書
では、ホンダの発展に欠かせなかったアート商会での修行、生涯宗
一郎を支え続けたさちとの結婚、のちに二人三脚でホンダの経営を
支えた藤沢武夫との出会いなど、主要なトピックを押さえながら、
ユニークな生涯を描き切っています。
修理ミスをエンジン音から聞き分けたというエピソードや、海外か
ら部品を持ち帰った話、考えることに集中するため、夜泣きそばを
すべて買い占めて静かにさせた話など、その常人離れした破天荒な
生き方は、読んでいて痛快ですらあります。
何度も苦境に陥りながら、藤沢武夫との二人三脚で乗り越えたホン
ダの創業期の歴史。
今は失われつつあるモノづくりへの情熱、そして日本人の誇りを思
い出すために、ぜひ読んでおきたい一冊です。
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■ 本日の赤ペンチェック
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まさに日本の自動車産業の黎明期に本田宗一郎は鍛冶職人本田儀平
の長男として生まれた
期待に胸をふくらませて入ったアート商会だったが、宗一郎に与え
られた仕事は子守と掃除だけであった。それでも宗一郎は本と、先
輩の修理を観察することを頼りに自動車の構造と修理を学ぼうとし
ていたのだ
フォードT型は1908年に発売されて以来、圧倒的な支持を受け、そ
の後20年間に1500万台以上が生産されたアメリカの名車である。成
功の理由は世界で初めての量産体制の確立と低価格だった。金持ち
だけが物珍しさで乗り回していた自動車が大量生産によって大衆の
手に届く存在に変わったのがこのT型からだった
宗一郎はひと通りの修理技術を弟子に教えると、簡単な指示を与え
て修理を一切、弟子に任せてしまう男だった。宗一郎は仕上げた車
を点検するだけである。しかしそれが弟子には怖い
丁稚奉公から身を起したたたきあげの宗一郎にとって高い教育を受
けたさちの存在は大きかった
藤沢は明治43年東京に生まれた。20歳の時に自ら会社を設立し、加
工機械の部品製造などを手がけてきたこの青年実業家は戦後、疎開
先の福島県で製材業をやっていた。商売がうまくその率直な人柄を
かわれて銀行の信用も絶大だった
藤沢は銀行に行って融資を受けるために頭を下げるような男ではな
かった。彼は企業に託した夢を語る男だった。その夢を買いたくな
る男だった。結局三菱銀行は2億円の融資を申し出るのである
アメリカ・ホンダは販路拡大の戦略としてアメリカ人の遊びにター
ゲットを絞った。釣り、ハンティングといった遊びのための気軽な
足としてホンダのオートバイを売る方針を立てたのである。そして、
釣り具店、運動用品店、モーターボート販売店までを販売ルートと
して開拓していくことになった。この延長線上に後のハンターカブ
の開発があるのである
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『本田宗一郎本伝』
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■目次■
第1章 手の出生
第2章 アーさんのピストンリング
第3章 焼け跡のバタバタ
第4章 ドリーム号の夢
第5章 スーパーカブ、町にあふれる
第6章 藤沢武夫、アメリカへ飛ぶ
第7章 中村良夫、メキシコに勝つ
第8章 オヤジの空冷エンジン
第9章 息子たちの時代
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