http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861360749
本日の一冊は、10年前に出版され、長らく絶版となっていた、『学
校に行かなかったケンイチ―大前研一の意外な素顔』の復刻版です。
※参考:『学校に行かなかったケンイチ―大前研一の意外な素顔』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/483780358X
ずっと復刊を期待されていた本で、一時は中古で8000円以上の値がついたそうです。
今回の本は、大前研一氏の「年上の妹」である著者が、前著を大幅に加筆修正し、さらに35年前の手紙を多数掲載して、大前研一氏の素顔に迫る、というものです。
数多くのエピソードや手紙、写真から、ありのままの大前研一氏が浮かび上がってくるのが、本書の特徴。
読むと、氏の優秀さや、負けん気の強さ、合理主義などはかなり若い頃から培われたものだということがわかります。
もちろん、マザコンだったり、神経質だったりする、人間らしい面も読み取れる、そんな内容です。
世界トップクラスの経営コンサルタントがどうやって生まれたか、関心のある方はぜひ読んでみてください。
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■ 本日の赤ペンチェック
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<横浜市立白幡小学校に転入した時の話>
当時は今のようにラジオもテレビも普及していなかったので、九州弁なんて誰も知らなかったのでしょう。私はみんなに笑われて、泣いて帰ってきました。ところが研一のほうは、やはり笑われたのですが、その時「あ、こいつらには負けられない」と思ったそうです
私が大事だと思ったところに赤線などが引いてあるのを見て、研一は「お姉ちゃま、あれじゃやっぱり3だよ。大事なところに引いてない」と言うのです。研一は教科書を見て大事なポイントを押さえる力を、その頃から持っていたようです
研一の本領が発揮され始めたのは高校に入ってからです。高校は進学校の県立横浜翆嵐高校でしたが、もちろん難なく入学しました。ところが学校が始まってみると、まともに登校しないのです
研一はすこぶる神経質でした。母がいない時に私が彼のご飯をつごうとすると、「もう一回手を洗え」と言うのです。私が洗いに行くのをじっと見て「よし」とか言って。しかもちゃんと手を流すのまで見ていました。そのくらい彼は神経質でした
研一は学生一年の時に通訳ガイドの資格を取って、大学時代ずっとガイドのアルバイトをしていた
MITに入学した研一ですが、そこでの勉強は凄まじいものだった
<大前研一氏が留学後に語ったこと>
アメリカで勉強したことの一番の収穫は、新しいことを学ぶ心、人の上に立てるリーダーシップ、自分の考えをまとめて表現できる能力、多様な価値観を受け入れる普遍的適応性のある人間としての能力を身に付けたことだ
筆まめに加えて、何かを説明する時の研一の指示の細かさ、的確さにも驚くべきものがあります
<日立製作所在籍中に姉に宛てた手紙>
7時50分から夕方6時30分働き、その間席を立つのも余り思うにまかせぬような残酷な生活を一ヶ月して、$200にも満たない¥68,500では余りに人を馬鹿にしていると思います(中略)仕事中も居眠りばかりしています。仕事の方でも平社員のペンペンで、何の責任がある訳でもなく、自分の創造の自由度などは皆無です。皆よく働いていますが、頭の使い方と能率の良さを知らないようです
<大前研一氏はマザコン>
大きいことをする人に限らず、親を大事にできない人は何をやってもダメ
研一はこの人と思って一度付き合うと、長く関係を保ちます。ただし「この人はダメ」と思ったら、まったく付き合う気になりません
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『学校に行かなかった研一』
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■目次■
まえがき
弟からの弁明 大前研一
第一章 登校拒否児だった研一と学校が大好きだった私
第二章 ニューヨークとボストン間の交流
第三章 日本の企業を経てマッキンゼーへ
第四章 資格取得とニューヨーク恋物語
第五章 大前家の面々
第六章 研一の都知事選出馬
第七章 あれから十年
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