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『分類思考の世界』三中信宏・著vol.2130


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【なぜ人は「分類」するのか?】
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ビジネスにおいて、人が世界をどう認識しているかを知ることは極めて重要ですが、このこと自体を意識することは普段あまりないのではないかと思います。

そこで、チャレンジしてみたのが、この『分類思考の世界』。

生物系統学を専門とする、東京大学大学院教授の三中信宏さんが、長い歴史をもつ生物分類学の知を披露しながら、「分類」の歴史と、その難しさを教えてくれる、知的読み物です。

本書でも書かれているように、「ヒトは無意識のうちにオブジェクトを分類してしまう生きもの」で、それが「記憶と思考の節約」につながっているわけですが、この分類するという作業には、問題も伴います。

たとえば、山の定義。大きな山だけを見ていたら問題にならないものが、小さな山になると、たちまち問題になる。

幼稚園の子どもが造った公園の砂山は、山とみなされるのか、そうでないのか。みなされないとしたら、「日本一低い山」はどこで、定義はどうなっているのか。考えてみたら、不思議な話です。

また、有名な例ではありますが、本書にも登場するカモノハシ。

卵を産み、かつ授乳するこの不可思議な生物をどうやって分類するのか。

こういった事例を読みながら、「分ける」ことの本質を追究するのが、本書の面白いところです。

・どのような偏狭なリクツを捏ねたとしても、「実在」を消すことはできない
・名さえあれば「ない」ものも「ある」ことになる
・理論と人間とは本来「運命共同体」であってはならない

などといった教訓は、われわれビジネスマンが世界を正しく認識する手助けとなること間違いありません。

目に見えるもの、分けられるものだけが実在ではない。

これを知ることでわれわれは現実の中から意外な発見をし、画期的なアイデアを生み出すことができるのです。

この週末は、生物学者たちの格闘の歴史を読んで、「分類」を哲学してみてはいかがでしょうか。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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「タテ思考(系統樹思考)」と「ヨコ思考(分類思考)」はともに重要な車の両輪である

多様なオブジェクトがかたちづくるタペストリーとしての世界を理解するためには、そのタテ糸とヨコ糸を解きほぐしてみる必要があるだろう。系統樹思考と分類思考では問題設定がそもそもちがっている。どちらかひとつで事足れりというのは短絡的な考え

初めての曲を演奏するとき、各パートは自分の譜面を追うのに精一杯で、他のパートがどのような旋律を担当しているのかまで気配りができないものだ

私たちは「山」といえばついつい高い山を思い描くので、「山とは何か」という定義など自明だろうと軽く考えてしまいがちだ。
しかし、高い山ではなく低い山にいったん目を向けると、「山」といえるかどうかの境界がぼやけてしまう

たくさんの対象物をひとつひとつ覚えられるほど、私たちの大脳は性能がよくない。
ばらばらの対象物を少数のグループ(群)に分類して整理することによって、はじめて記憶と思考の節約ができる

リンネ以来の階層分類の方式を遵守する現在の生物分類学では、分類体系はより包括的な上位ランクからより限定的な下位ランクに向かって、門・綱・目・科・属・種というような「カテゴリー(category)」によって構成される。たとえば、ヒトという種は、脊椎動物門・哺乳綱・サル目・サル亜目・ヒト科・ヒト属の下に置かれる

「カモノハシ」問題の責任を、カモノハシのせいにしてはいけない。
個々の特徴がどうであろうが、その組み合わせがいかに奇妙であろうが、カモノハシは厳然として「そこにある」からである。
どのような偏狭なリクツを捏ねたとしても、「実在」を消すことはできない

名もなきものは最初から存在していない。その逆に、名さえあれば「ない」ものも「ある」ことになる

外見的に変化はしても「ほんとうは同じものである」という認識があってはじめて、存在は変化するのだという意識が生まれたのだろう

ヒトは心理的に「本質」を造りあげてしまうやっかいな「心」を内にもっている

集合の定義のしかたには、構成メンバーがその集合に属すために満たすべき必要十分条件を挙げることによる「内包的定義」と、その集合に属すべき個々のメンバーをひとつずつ挙げることによる「外延的定義」のふたつのやり方がある

理論と人間とは本来「運命共同体」であってはならない

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『分類思考の世界』講談社 三中信宏・著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062880148

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◆目次◆

生まれしものは滅びゆく(二〇〇六年オアハカ、メキシコ)
第1章 「種」に交わればキリがない
第2章 「種」よ、人の望みの喜びよ
第3章 老狐幽霊非怪物、清風明月是真怪
第4章 真なるものはつねに秘匿されている
第5章 いたるところにリヴァイアサンあり
第6章 プリンキピア・タクソノミカ
実在是表象、表象是実在(二〇〇七年ニューオーリンズ、アメリカ)
第7章 一度目は喜劇、二度目は茶番
第8章 つながるつながるつながるなかで
第9章 ナボコフの“ブルース”
第10章 目覚めよ、すべての花よ
第11章 時空ワームの断片として
第12章 「種」よ、安らかに眠りたまえ
滅びしものはよみがえる(二〇〇八年トゥクマン、アルゼンチン)

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