2010年6月30日
【塩野七生のエッセイ、待望の続編】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166607561
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本日の一冊は、「文藝春秋」で連載していた塩野七生さんのエッセイを、「国家と歴史篇」としてまとめて出版した一冊。
ローマ史研究で有名な塩野七生さんの国家論ということで、自ずと期待は高まりますが、ひとつひとつのトピックの掘り下げは浅く、正直、エッセイの寄せ集めとの印象は拭いきれませんでした。
ただ、アレクサンダー大王やカエサルなど、歴史上の偉人たちの政治に関しては、裏話も含め、興味深く読むことができます。
なぜクレオパトラは失敗したのか、アレクサンダー大王とカエサルの侵攻はなぜ侵略戦争ととられなかったのか、「美しい国」は、なぜスローガンとして有効でないのか…。
歴史に基づく人間観と、徹底した現実主義に支えられた主張は、人によって抵抗があるかもしれませんが、リーダーならぜひ読んでおくべきと思います。
マキアヴェリの『君主論』に共感できる人は、ぜひどうぞ。
※参考:『君主論』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122040124
共感できない方は、絶対に読まないことをおすすめします。
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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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亡国の悲劇とは、人材が欠乏するから起るのではなく、人材はいてもそれを使いこなすメカニズムが機能しなくなるから起るのだ。(「『ローマ人の物語』を書き終えて」より)
イエスは後継者に、自分とは正反対な男を選んだのであった。漁師あがりのペテロだ
自らの魅力への過信。時代の流れを読めなかったこと。二級の男に賭けてしまった誤り。私はそのクレオパトラを、同性としてその悲劇に同情するよりも、国の運命も左右しかねない統治者として裁いたのである
アレクサンダー大王やユリウス・カエサルによる侵略が他の数多の侵略戦争と区別されるのは、頭をガツンとやってもすぐその後で、ガツンとやられた当人さえも納得する戦後処理を実施したから
双方でちがう言い分を聴いて比較する作業に慣れてくると、それらの合い間に自然に浮び上ってくる真相も見えてくるようになるから面白い
一本に集中するということはそれだけを考えていればよいということだから、史料なり情報なりはことごとく、私の頭の中に泳がせておくことができる
売文業にとっての恒産は贅沢をするために必要なのではなく、きちんとした作品を書くには不可欠な、考える時間を充分に持つために必要なのである
「夢」や「ゆとり」や「美しい」とかは、個人の性格や好みによるから同一ではない。このように客観的な基準を決めることが不可能な事柄は宗教家や詩人の分野のことであって、政治家や官僚が口をはさむことではない
有能で仕事もできる人は、「清」だけでなく「濁」も合わせもつもの
屈折した精神とはしばしば、飛躍への障害になる
全員を救おうとすれば一人も救えなくなる
勝つのに最も効果的な方策は、敵が予想もしていなかった戦術を用いたとき、である
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『日本人へ 国家と歴史篇』文藝春秋 塩野七生・著
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◆目次◆
※多すぎるので省略します
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