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『人生論』トルストイ・著 vol.1844


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【トルストイの人生論とは?】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102060170

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本日の一冊は、文豪、トルストイによる人生論の名著。

「解説」によると、「一八八六年夏、五十八歳の時にトルストイは、貧しい後家さんのために乾草をみずから運んでやっているうちに、荷馬車に片足をひどくぶつけ、その傷から丹毒を起して重病にかかった。四十度の高熱が何日もつづき、吐き気がとまらず、すっかり衰弱しきったため、トルストイは病床で自分の死を意識するにいたった」。

この時に、アンナ・ディテリフスという人物が「もし万人にとって必要なトルストイのような人間まで死なねばならぬとしたら、死はいったい何のためにあるのか? それを考えると、理性と感情をどうやって調和させてよいか、わからなくなる」と長文の見舞いをよこし、これに返事したのがこの『人生論』の草稿となったそうです。

だから、内容はどちらかというと人生ではなく、生命についての考察であり、そこから人生へのヒントが見えてくる本、と言った方がいいかもしれません。

トルストイは本書の中で、人間の生命は理性に従って完成させられねばならないこと、個我の生存を生命や幸福と認めてはならないこと、愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛であることを述べており、ここからわれわれがどんな生き方をすべきか、他者に対してどんな姿勢で接するべきかのヒントが得られます。

本書を読んでいると、ただ個人の肉体の満足のために生きることが、いかに馬鹿らしいか、わかってきます。

人間が幸福でいるための指南書として、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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胎児が生れてくるのはべつに、生れたいと思うからでも、生れるほうがいいからでも、生れるのがよいと承知しているからでもなく、すっかり成熟して、それまでの存在をつづけることができなくなったからである

理性とは人間によって意識される法則であり、人間の生命はそれに従って完成されなければならない

人間の生命は人間的な幸福への志向であり、人間的な幸福への志向が人間の生命なのである。俗衆や、思索せぬ人々は、人間の幸福を、動物的個我の幸福の中で理解している。誤った科学は、生命の定義から幸福の概念を除去して、生命を動物的な生存の中で理解しているため、生命の幸福を動物的な幸福の中にのみ認めて、俗衆の迷いと一致してしまう

人間の生存の不幸は、人がそれぞれ個我であることから生ずるのではなく、人が自己の個我の生存を生命や幸福と認めることから生ずる

あらゆる肉体的幸福は、他の存在に被害を及ぼすことによってのみ、ある存在のものとなることを、人は知らなければいけない

将来の愛などというものはありえない。愛はもっぱら現在における活動である。現在において愛をあらわさぬ人は、愛を持たないのである

ある人々を他よりも好む情熱のはげしさは、誤って愛とよばれてはいるが、そんなものは、真の愛をその上につぎ木して実を結ばせることのできる、野生の若木でしかない

愛とは、自分、すなわち自己の動物的個我よりも他の存在を好もしく思う感情である

愛することができるようになる、つまり、自己を犠牲にして善をなすことができるようになる前に、まず憎むことを、つまり、悪をなすことをやめて、自分の個我の幸福のためにある人を他より選り好みすることをやめなければいけないのである

愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである

死の恐怖が生ずるのは、誤った観念によって限定された生命のごく小さな一部分を、人が生命と思いこむためである

未来の生命を信ずることができるのは、生命の仕事をなしとげて、もはや自己のうちにはおさまりきらぬ、世界に対する新しい関係をこの人生で確立した人間だけなのである
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『人生論』新潮社 トルストイ・著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102060170
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◆目次◆
※目次がないため省略します

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