『ヒットメーカーの寿命 阿久悠に見る可能性と限界』高澤秀次・著


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【言葉を商業化した男】
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本日の一冊は、ピンクレディー「UFO」、都はるみ「北の宿から」などのヒット曲を連発し、日本レコード大賞はじめ、数々の賞を総ナメにした天才作詞家、阿久悠を論じた本格評伝。

発売されたシングルの総売上枚数でも作詞家歴代1位にランクインされる、稀代の作詞家にしてマーケター。

本書は、その勝利の方程式と、ヒットが生まれた時代的背景、阿久悠の人となりに迫った一冊です。

飢えから解放された日本人が求めた「新種のみなし児」としてのアイドル、「望郷」ではなく、故郷を離れて旅をする「幾分か前のめりの女たち」を描くことの意味、美空ひばりから遠く離れて追求した世界観…。

直接マーケティングノウハウを説いた本ではありませんが、行間からクリエイターの精神と技術、そしてヒットの秘訣が学べる、そんな一冊に仕上がっています。

平成の時代にどんな言葉が売れるのか、それに関してはヒントのみを示したかっこうとなっていますが、読者がクリエイターであれば、本書からはいい刺激がもらえるに違いありません。

企画や言葉で勝負したい方に、おすすめの一冊です。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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彼は知っていた。飢えから解放された戦後日本社会にあって、「アイドル」という新種のみなし児たちを、時代が求めていたことを

ネガ(陰画)が、ポジ(陽画)に反転することで生じる言葉の商品価値、市場化可能性を、作詞家はここで最大限に引き出していた

演歌の詞にしても、彼がストレートに定番の「故郷」を歌にすることはまずなかった。それは『京都から博多まで』『北の宿から』『津軽海峡・冬景色』といったヒット曲を眺めれば一目瞭然であろう。それらに共通するのは、何らかの理由で旅をする女、故郷にしがみつくのではなく、そこを離れて北なり西を目指す、幾分か前のめりの女たちである

八〇年代のはじめから、最晩年まで二六年間にわたって書き継がれた「日記」は、彼の衰えを知らぬその企画力の源泉でもあった。一日の出来事を日記帳の一ページに収めるために、彼は「一人編集会議」と称する情報整理を連日連夜実践したのだ

「ぼくはもともと歌人間ではなく、どちらかというと活字人間であったり映像人間であったわけだから、常に歌から飛び出す意識を持っていた」(『なぜか売れなかったぼくの愛しい歌』)

つまり阿久悠的な歌の冒険とは、歌謡曲の定番が確固としてある限りでの、スリリングなそこからの「はみ出し」だった

阿久悠の離れ業は、ここで去ってゆく女の「怨念」や「情念」を見事に消し去ると同時に、その女の後ろ姿よりも、見送る男の前向きのやせ我慢を、より格好良く見せることに成功したことにある

美空ひばりから遠くはなれて――。まさにそれが阿久悠という作詞家の可能性の中心だった

その人に伝えるべき「飢餓」も「憧憬」も見失われた、のっぺらぼうの平成の世にふさわしい歌を、ついに彼は美しいメロディのつい
た一曲として、世に送り出すことがなかったのである

敗戦後の日本は、その反動として、極端な「私」化に走り、個々人のエゴイズムを超えた普遍的な価値というものを貶める風潮を蔓延させてしまった

徹底して自己中心的なユーミンの世界は、果てしなく生成し続ける”みなし児の歌”を本質としている。それをスペクタクルのスケー
ルに拡大してみせたのが、松任谷由実の世界だったのだ

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『ヒットメーカーの寿命 阿久悠に見る可能性と限界』東洋経済新報社 高澤秀次・著
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◆目次◆

はじめに
第一章 ヒットメーカー阿久悠の軌跡
第二章 「反転」の発想法
第三章 パロディを多用する意味
第四章 何が「阿久悠」を生み出したのか
第五章 阿久悠が「歌詞」を書けなくなるまで
第六章 阿久悠亡きあと――平成という「私」語りの時代
おわりに

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