『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム・著


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【今年一年はこの一冊で振り返る】
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今年は、金融バブルの崩壊、派遣切り、企業不祥事、殺人事件など、暗いニュースが目立った年でした。

原因については諸説あると思いますが、ひとつには、行き過ぎた「自由」とそれゆえに生じた「孤独」という、人間にとって普遍のテーマがあったかと思います。

そして、この問題を扱ったエーリッヒ・フロムの名著を紹介して、今年の締めくくりとさせていただこうと思います。

ぜひお楽しみください。

フロムは本書で、「自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした」と説いています。

確かに、われわれの社会を見ると、学校を選ぶのも、仕事を選ぶのも、配偶者を選ぶのも、まったくの自由であり、その自由は行き着くところまで行った、そんな気がします。

ただその一方で、家庭の崩壊、売春の横行、うつの増大など、大きな社会的問題を抱えているのも事実です。

また、資本主義システムのもとでの疲弊感と疲労感も大きな問題のひとつですが、本書はこれに対しても、一定のヒントを与えています。

著者は、中世におけるルネッサンスと宗教改革を例に、自由を求めた個人がどのような心理状態に陥り、社会がどう変容していったのかを検証しているのですが、当時の人々を取り巻く状況が、あまりに現在に酷似していることに驚きます。

いわく、人は自由からも逃れようとするわけで、過去にその心理はナチズムを代表とする権威に利用されてきました。

自由に伴う不安から安易に逃げるのではなく、人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由を実現すること。

フロムのメッセージが理想で終わるのか、それとも人間の進歩につながるのか。

いまわれわれは、その重大な岐路に立たされている気がします。

年末の一冊ということで、文句なしの名著です。
ぜひ読んでみてください。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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衝動の満足と文化とは逆比例する。抑圧がつよいほど、より多くの文化が生まれる。(そしてまた神経症的障害の危険もより多くなる)

人間が自由となればなるほど、そしてまたかれがますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである

近代的な意味での自由はなかったが、中世の人間は孤独ではなく、孤立してはいなかった。生まれたときからすでに明確な固定した地位をもち、人間は全体の構造のなかに根をおろしていた

能率という観念がもっとも高い道徳的な価値の一つと考えられるようになった。同時に富と物質的な成功を求める欲望が、ひとびとの心をうばう情熱となった

資本が決定的に重要なものになったということは、経済が超人間的な力によって決定され、ひいては人間の運命までが、それによって決定されるということを意味した。資本は「召使いであることをやめて、主人となった

資本の蓄積のために働くという原理は、客観的には人類の進歩にたいして大きな価値をもっているが、主観的には、人間が人間をこえた目的のために働き、人間が作ったその機械の召使いとなり、ひいては個人の無意味と無力の感情を生みだすこととなった

愛は「好むこと」ではなくて、その対象の幸福、成長、自由を目指す積極的な追求であり、内面的なつながりである

人間はたんに商品を売るばかりではなく、自分自身をも売り、自分自身をあたかも商品のように感じている

マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること、自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのがれることである

本来の自己とは、精神的な諸活動の創造者である自己である。にせの自己は、実際には他人から期待されている役割を代表し、自己の名のもとにそれをおこなう代理人にすぎない

若い世代が両親から尊敬するようにと教えられた権威が弱体を暴露したとき、両親もまた威信と権威とを失った

個人の最大の強さは、かれのパースナリティの一貫性の最大量にもとづくものであるが、それは自分自身にたいする理解の最大量にもとづいているということである。「汝みずからを知れ」という言葉は、人間の強さと幸福をめざす根本的な命令の一つである

近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎない

有機的な成長は自分自身についてと同じく、他人の自我の特殊性にたいして、最高の尊敬をはらうばあいにおいてのみ可能である

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『自由からの逃走』東京創元社 エーリッヒ・フロム・著
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◆目次◆

第一章 自由
第二章 個人の解放と自由の多義性
第三章 宗教改革時代の自由
第四章 近代人における自由の二面性
第五章 逃避のメカニズム
第六章 ナチズムの心理
第七章 自由とデモクラシー
付 録 性格と社会過程

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