『春宵十話』 岡潔・著 Vol.2684


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【大数学者が遺した教育論】
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本日の一冊は、日本を代表する大数学者、岡潔(おか・きよし)の名エッセイ「春宵十話」ほかをまとめた一冊。

著者は、フランス留学中に生涯の研究課題となる「多変数解析函数論」に出合い、後年、この分野における難題「三大問題」を解決、その後、奈良女子大学の教授として、日本の数学教育に尽力しました。

本書は、そんな著者が、教育に関する持論を述べたエッセイで、お亡くなりになった後、何度も出版社を変え、生き残っている貴重な一冊です。

「人の中心は情緒である」と信じる岡潔は、本書のなかで、情緒を育てる教育を提案しています。

「すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい」
「人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる」
「理想の高さが気品の高さになる」

人間にとって情緒がどれほど重要か、そして数学を理解するのに情緒がどんな役割を果たすのか、見事に指摘した内容で、われわれの教育への固定観念に、ズバッとメスを入れます。

そして、一部のビジネス書、自己啓発書に含まれる価値観の問題も。

「いまの教育では個人の幸福が目標になっている」
「しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない」

現在の社会を見渡してみると、誠に耳の痛い話ではないでしょうか。

本書のすごいところは、著者が亡くなって30年以上経つ今も、内容が一切輝きを失っていないところ。

むしろ、ここで指摘されている問題は、30年経った現在、まさに噴出してきていると言えるのです。

グローバル化が進む未来を見越して、岡潔が提案していた教育。これについて知りたい方は、ぜひページをめくってみてください。

きっと、学ぶところが多いはずです。

本書はまた、生き方の指南本でもあり、随所にさまざまな人生訓が盛り込まれています。

なかでも感銘を受けたのは、「春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいい」というフレーズ。

これは著者が「数学をやって何になるのか」と聞かれた際の答えだそうですが、およそ何かに取り組む人間は、雑音に惑わされず、集中して取り組むことが大切だと確信させられました。

古い本であり、多少難しい部分もありますが(数学に関する難しい話は出てこない)、教育に携わる方には、示唆の多い一冊だと思います。

ぜひ読んでみてください。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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学問にしろ教育にしろ「人」を抜きにして考えているような気がする

いま、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか。人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない

情緒の中心が実在することがわかると、劣等生というのはこの中心がうまくいってない者のことだから、ちょっとした気の持ちよう、教師の側からいえば気の持たせ方が大切だということがわかる

だれだれの話を聞くというので留学するのだから、よその国ではだめなのに、文部省はそんなこともわからなかったらしい。これも「人」というものが忘れられている例で、どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない

よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない

理想の高さが気品の高さになるのである

いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単にできる(中略)しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない

美が実在するというのはうそで、本当は美などはないのです。情緒があって美が外に出るのであって、外に美があって情緒で受けるのではないということです

ポアンカレーは、数学の本質は調和の精神だといいました

謙虚でなければ自分より高い水準のものは決してわからない

数学の教え方としては「よく見きわめて迷う所なく行ない、十分よく調べて結果が正しいことを信じて疑わぬ」ようにさせるのがよい

国家が義務教育と並んで力を入れるべきものとして天才教育がある

日本は滅びる、滅びると思っていても案外滅びないかもしれない。というのは、日本民族はきわめて原始的な生活にも耐えられるというか、文明に対するセンスが全くかけているというか、そういうところがあるので、自由貿易に失敗して、売らず買わずの自給自足となっても、結構やっていけそうにも思えるからである

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『春宵十話』岡潔・著 光文社
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◆目次◆

春宵十話
宗教について
日本人と直観
日本的情緒
無差別智
私の受けた道義教育
絵画教育について
一番心配なこと
顔と動物性
三河島惨事と教育
義務教育私話
数学を志す人に
数学と芸術
音楽のこと
好きな芸術家
女性を描いた文学者
奈良の良さ
相撲・野球
新春放談
ある想像
中谷宇吉郎さんを思う
吉川英治さんのこと
わが師わが友
解説 有馬朗人

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