2015年10月1日

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 伊藤亜紗・著 vol.4090

【見えないことで見えるもの】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334038549

大学時代、佐藤信夫さんの「コインは円形である」というエッセイに衝撃を受けました。

簡単に要約すると、われわれは普段コインを円形と捉えているが、実際には、自動販売機などで長方形であることを認識している。にも関わらず、われわれはコインを円形と信じ込んでいる、というお話です。

このお話から学んだことは、人の見方は情報があることによって、かえって固定されてしまうことがある、ということです。

経営においても、仮に「在庫回転率」を指標に設定したら、そこばかり見るようになってしまい、他の側面が失われてしまう。

物事の本質は、多面的に検証すること、全体的に俯瞰することでつかめることがある、という学びです。

では、どうやって多面的な見方、全体的な視点を手に入れられるのか。

この点について、じつに興味深いアプローチをしている本があったので、ご紹介します。

本日の一冊は、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授の伊藤亜紗さんによる、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』。

タイトル通り、目の見えない人がどうやって世界を認識しているのかをインタビューを元に考察した一冊。

目の見えない人の視点を手に入れると、物事の捉え方、表現方法がどう変わるのか、興味深いポイントが示されています。

・見えない人の住まいは幾何学的で抽象的な傾向がある
・見えない人は文化的なフィルターから自由
・見えない人には「死角」がない
・見えない人にとって、空間や面には価値のヒエラルキーがない(表・裏など)

さらに詳しく、本書のポイントを見て行きましょう。

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人が得る情報の八割から九割は視覚に由来する(中略)これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまいます

人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです

資本主義システムが過剰な視覚刺激を原動力にして回っていることは言うまでもない

全体的な傾向として、見えない人の住まいは幾何学的で抽象的な傾向

あるべきものが「定位置」にない場合は、それを探さなければならないわけですが、これは見えない人にとっては非常に労力がかかること

視覚にはそもそも対象を平面化する傾向があるのですが、重要なのは、こうした平面性が、絵画やイラストが提供する文化的なイメージによってさらに補強されていくこと

見えない人、とくに先天的に見えない人は、目の前にある物を視覚でとらえないだけでなく、私たちの文化を構成する視覚イメージをもとらえることがありません。見える人が物を見るときにおのずとそれを通してとらえてしまう、文化的なフィルターから自由なのです

見えない人は、見える人よりも、物が実際にそうであるように理解している

先天的に見えない人の場合、こうした表/裏にヒエラルキーをつける感覚がありません

ある全盲の子どもが壺のようなものを作り、その壺の内側に細かい細工を施し始めた

視覚がその機能においてより「精神的」

教育とは、触る世界から見る世界へ移行させること

「自立とは依存先を増やすことである」
(脳性まひの小児科医 熊谷晋一郎氏)

見えない人は、入ってきた情報に応じて、イメージを変幻自在にアップデートできる。つまりイメージに柔軟性がある

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経営や商品開発のヒントとして、また物事を多面的に捉える思考訓練として、じつに興味深い一冊です。

うまく活用すれば、競合他社が訴求できていなかった感覚情報を持って、商品開発できると思います。

これはぜひ、読んでみてください。

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『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
伊藤亜紗・著 光文社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334038549

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◆目次◆

序 章 見えない世界を見る方法
第1章 空間──見える人は二次元、見えない人は三次元?
第2章 感覚──読む手、眺める耳
第3章 運動──見えない人の体の使い方
第4章 言葉──他人の目で見る
第5章 ユーモア──生き抜くための武器

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