2014年5月25日

『小林秀雄 学生との対話』 国民文化研究会、新潮社・編 vol.3596

【小林秀雄の英知に触れる】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103082070

高校の国語の先生が、かつて、人生で最も感動したスピーチというのを、授業中に紹介してくださいました。

それは、「批評の神様」と称された、故・小林秀雄氏のスピーチ。

かつて青年だった国語の先生は、屋外で行われたその講演を、雨に打たれながら、ずっと聴いていたそうです。

そのエピソードを聴いて、巨匠の講演をぜひ生で聴きたかった、と思ったのですが、残念ながら、それは叶いませんでした。

昔、音楽好きの友人が、語ってくれた言葉があります。

「オレは、生のビートルズには会えなかったけれど、オレの時代のビートルズに会うために、今でも音楽を聴き続けているんだ。たとえそれが無名の新人の曲であってもね」

土井も、そんな気持ちで毎日、ビジネス書を読んでいますが、たまには、巨匠の背中を追って、その教養に触れてみたくなるもの。

そんな気分で手に取ったのが、本日の一冊です。

本日ご紹介するのは、小林秀雄氏が、昭和36年~53年の間に、5回にわたって九州に赴き、全国六十余の大学から集まった3~400名の学生や青年と交した対話の記録です。

歴史とは何なのか、われわれは科学をどう扱えばいいのか、現代のインテリの問題点は何なのか、われわれはどんな態度で学ぶべきか…。

小林秀雄氏の深い教養に触れ、物の見方が一変する、そんな一冊です。

ぜひ全ページ通読していただきたいと思いますが、本書の中から、気になった考え方を2つほど紹介しておきます。

一つは、歴史の捉え方について。そしてもう一つは、現在の日本が直面しつつある、政治的危機に関する部分です。

<昔は、『増鏡』とか『今鏡』とか、歴史のことを鏡と言ったのです。鏡の中には、君自身が映るのです。歴史を読んで、自己を発見できないような歴史では駄目です。どんな歴史でもみんな現代史である、ということは、現代のわれわれが歴史をもう一度生きてみるという、そんな経験を指しているのです。それができなければ、歴史は諸君の鏡にはならない>

<信ずるということは、責任を取ることです>
<信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです>

こんなに高度な内容を、ここまでわかりやすく、面白く語れるとは、本当に恐れ入りました。

本書の冒頭で宣伝していた講演CD、『小林秀雄講演 第1巻 文学の雑感』も、思わず即買いしてしまいました。

※参考:『小林秀雄講演 第1巻 文学の雑感』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4108301323

年代から考えると、ひょっとしたら国語の先生が聴いたのは、まさにこの講演だったのかもしれません。

こちらも、絶版になる前に、ぜひ買って聴いてみてください。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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「大和魂」と「才」とは対立するのです。大和魂とは学問ではなく、もっと生活的な知恵を言うのです(中略)今日の言葉でいうと、生きた知恵、常識を持つことが、大和魂があるということなのです

大和心をなくしてしまうように、日本人は学問せざるを得なかった、これは日本の一つの宿命なのです。日本は大昔から、いつでも学問が外からやって来た。自分に学問がなかったので、外から高級な学問が押し寄せて来て、これに応接しなければならなかった。だから、日本人はいつも漢文で出来上がった学問と闘わねばならなかった非常に苦しい国民なのです

現代のインテリは、不思議を不思議とする素直な心を失っています。テレビで不思議を見せられると、これに対し嘲笑的態度をとるか、スポーツでも見るような面白がる態度をとるか、どちらかでしょう

理性は科学というものをいつも批判しなければいけないのです。科学というのは、人間が思いついた一つの能力に過ぎないという事を忘れてはいけない

信ずるということは、責任を取ることです

信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです

どうして民主主義なんていう言葉を、そんなに君、大事な大きな言葉と考えるのかな。僕は何主義でもいいと思うんだよ。政治というものは、目的を達すればいいのだ。目的って何だ? 僕らの幸福じゃないか。それを達すればいいじゃないか

たとえば薔薇を見て、君はただ「赤い花だ」と思うだろう。しかしルノワールならば、同じ薔薇の中にどれぐらいたくさんの色を見分けているか

物事を抽象的に考える時、その人は人間であることをやめているのです。自分の感情をやめて、抽象的な考えにすり替えられています

昔は、『増鏡』とか『今鏡』とか、歴史のことを鏡と言ったのです。鏡の中には、君自身が映るのです。歴史を読んで、自己を発見できないような歴史では駄目です。どんな歴史でもみんな現代史である、ということは、現代のわれわれが歴史をもう一度生きてみるという、そんな経験を指しているのです。それができなければ、歴史は諸君の鏡にはならない

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『小林秀雄 学生との対話』国民文化研究会、新潮社・編 新潮社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103082070

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◆目次◆

講義 文学の雑感
講義 信ずることと知ること
講義 「現代思想について」後の学生との対話
講義 「常識について」後の学生との対話
講義 「文学の雑感」後の学生との対話
講義 「信ずることと考えること」後の学生との対話
講義 「感想──本居宣長をめぐって──」後の学生との対話
信ずることと知ること

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