2004年10月4日

『悪意なき欺瞞』

http://tinyurl.com/5sdzs

本日の一冊は、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ両政権を助けた、20世紀を代表する経済学者、ガルブレイスによる後世へのメッセージです。

内容は、経済学、あるいは政治経済体制が創り上げてきた都合のいい「真理」の本質と、そこに秘められた「欺瞞」を指摘するというものです。現在の資本主義体制にどっぷりと浸かった私たちが、知らず知らずのうちに受け入れているさまざまな「欺瞞」に気づかせてくれる、そんな一冊です。

では、ガルブレイスは、いったい何をもって、現在の経済社会の「欺瞞」と呼んでいるのでしょうか。

さっそく要点を見ていきましょう。
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本日の赤ペンチェック ※本文より抜粋
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一九二九年に始まる大恐慌は、その後、およそ一〇年間続いた。資本主義が十全に機能しないことは、火を見るよりも明らかだった。だとすれば、資本主義に代わる経済体制を模索しなければならない。
その結果、次にやってきたのは「市場システム」というもったいぶった表現であった。
市場システムという言葉が「思いやりのある資本主義」という意味に解されるようになったのは、法人が現にやっていること、すなわち生産者が消費者の需要を支配し、都合のいいように操作している、という現実を覆い隠すために、資本主義に市場システムという、見てくれのいい変装を施したことに由来するのである。にもかかわらず、このことはタブー視されており、今日の経済論議においても、経済教育においても、消費者主権の正当性について正面切って論じられることはない。

個々の企業、個々の資本家が、いまや権力を失ったことは、誰しもが認めるところであろう。だからといって、「市場経済が熟達した全能の経営者たちの支配下にある」などといった類のことを、教室で語る教師はほとんどない。これぞ欺瞞の典型例ではないだろうか。

かつて日常的に用いられていた「独占資本主義」という言葉は、学術論文からも政治的文書からも姿を消してしまった。いまや消費者は独占資本の支配下にあるのではなくして、彼/彼女が主権者なのだから――実のところそうではないにせよ――と、教科書にはそう書かれているのである。

市場経済では消費者が主権を持っていると信じるのは、最も広く行きわたった欺瞞である。消費者をうまく管理し誘導しないかぎり、誰も財やサービスを売ることはできないのである。

そもそも、この世に絶対的なものはあり得ない。私たちは、芸術、科学を振興し、それらが社会に貢献すること、そして人生の多様な価値と享楽に寄与することを、声を大にして喧伝すべきである。生産者が随意に決める生産額の集計であるGDPのみで社会の進歩を測ること――これもまた小さな欺瞞の一つである。

労働には二つの意味がある。一つは、強制される働き。もう一つは、人もうらやむ威信と報酬と快楽の源泉としての働き。まったく違う二つの事柄に同じ言葉を充てるのが、欺瞞であることは言うまでもあるまい。

身体を酷使する反復的な仕事に従事する人々が、優れた労働者のはずである。にもかかわらず、仕事を楽しみながら、より多くの報酬を得ている人々、もしくは、まったく働く必要のない人々が、より快適な暮らしをしているという「矛盾」については、ほとんど誰も言及しようとしないのである。

小さな会社のオーナー、小規模な小売店やサービス業のオーナーは、農家と同様に、経済学の授業や政治家の演説の中では、その権限を過大評価されがちである。数世紀前の教科書に書かれていた古典的な経済システムが、そのまま持ち越されているのである。それは、今日の世界とはほど遠い代物であり、昔なつかしい過去の遺物でしかあり得ないのに……。

経営者の報酬が想像を絶するほどの巨額に達しているという事実は、企業経営者たちの悪意の賜物である。と同時にそれは、特別に恵まれた人々が自分自身の報酬を勝手に決めることのできる経済体制においては、あって当然のことである。こうした事実は、「悪意なき」とは言い切れない欺瞞なのである。

未知なるものの寄せ集めを知ることはできない。このことは、経済全体について真であるばかりか、特定の産業や企業についても、同じく真である。経済の将来予測は、これまで当たったためしがないし、今後とも経済予測が当たることはあり得まい。にもかかわらず、経済、とりわけ金融の世界では、未知なるもの、そして知りえないはずのことを予測する営みが、必要不可欠であり、高収入にありつきやすい職業のひとつとされている。

予測すべきなのは、大衆が知りたいことであり、多かれ少なかれ「儲け」になることなのだから、大衆の期待と要請が現実をおおい隠してしまう。それゆえ、金融市場では、まったく見当はずれの予測が褒めたたえられるばかりか、歓迎されることさえあり得るのだ。

不況と失業、そして好況とインフレは、連邦準備制度の応急措置とはほぼ無関係に持続するのである。これぞまさしく、最も信じられていると同時に、最も明白な欺瞞に他ならない。

私企業が公的セクターに入り込み、一定の影響力を発揮しつつ、その業務を肩代わりすることの是非については、ほとんど、というよりも、まったく反論の余地もなく是とされる。これはまさしく、見過ごしてはならない今日の社会現象なのである。

経済政策の歴史を振り返ってみると、再三ならず、経済政策が経済的な豊かさを犠牲に供してきたことを教えられる。しかも、その効果たるやほとんど皆無に等しかったのである。使い道のない富裕層にお金を与えて、貧困層に生活苦を押しつける。その結果、景気は後退するけれども、政府は何ら有効な対策を講じない。ところが、これといった有効な対策がないにもかかわらず、景気は自然と回復するのである。

文明は、数世紀間にわたる、科学、医療、あえて付け加えれば、経済的繁栄の賜物である。その半面、文明は、兵器の増強と周辺諸国への軍事的脅威、そして戦争をも是認してきた。文明を普遍化させるためには、大量殺戮さえもが避けて通れぬ道だとして正当化されるようになった。
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歴史上、どんな体制下でも、そこで恩恵を受けている権力者たちは、自己を正当化するロジックを持っていました。そして今、私たちも知らぬ間に、そのロジックを受け入れてしまっています。

一生懸命稼ぐことも大切ですが、走り出す前に、自分たちがどんな仕組みのなかで生かされているのか、知っておくのも大切なことだと、本書を読んで感じました。

というわけで、本日の一冊は、

『悪意なき欺瞞』
http://tinyurl.com/5sdzs

です。20世紀を代表する経済学者、ガルブレイスの、70年にわたる思索のエッセンスを手軽に読める、貴重な一冊です。

ぜひ読んでみてください。

目次


1 「悪意なき欺瞞」とは何か
2 「資本主義」という死語
3 市場における本当の主役
4 「労働」をめぐるパラドックス
5 企業を支配する「官僚主義」
6 「株主主権」という虚構
7 「官と民」という神話
8 幻想が支配する金融の世界
9 「中央銀行制度」という現実逃避
10 企業経営者の許されざる罪
11 外交と軍事の民営化
12 現代経済社会の真相
訳者解説
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