【「学ぶ」とは?】
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本日の一冊は、今も旺盛な評論活動を続ける政治思想史の重鎮であり、第27代東京大学総長も務めた佐々木毅さんによる、「学び」の考察。
「一生のうちに、人生を変えるほどの一冊に出会えなかったとしたら、それはあまりに寂しい」
これは、土井が佐々木さんにお会いした時聞いた、本人の言葉(うろ覚え)ですが、佐々木さんにとって、その一冊とは、マキャヴェリの『君主論』でした。
※参考:『君主論』
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佐々木さんは、この『君主論』に心を打たれ、政治学者への道を歩むことになったそうです。
本日ご紹介する一冊は、自身、学びのプロであり、東京大学、学習院大学では生徒をも学問の道へといざなった、佐々木毅さんによる「学び」考。
これがおもしろくないわけがありません。
こんな素敵な企画、誰が思いついたんだろう、と思っていたら、『投資戦略の発想法』などを手掛けた、講談社のカリスマ編集者でした。
福澤諭吉の名著『学問のすゝめ』や『文明論之概略』、古代ギリシャの哲学者たち、現代政治思想などのエッセンスが効いていて、「これぞ教養」と呼べる内容です。
学ぶことの本質、われわれが陥りやすい罠、挑戦すること、知的態度を持つことの大切さなど、これからも学び続ける人なら、一生使える知恵が詰まっています。
ぜひ読んでみてください。
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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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「学ぶ」ことには謙虚さが必要であり、謙虚さを失った「万全の態勢」への過信は「思い上がり」に通ずる危うさがある
「学ぶ」という行為の大半はある種の「想定」を持つことと密接不可分の関係にあるのである。「想定」は人間が予見する動物であることと深く関係している。人間は過去の経験に基づき「想定」を持ち、経験を通して再確認することによって「想定」に対する信頼度を高めていく
一定の「想定」に執着し、時にはそれに殉ずることも人間の一つの生き方であるが、それまで「学んできた」ことを相対化し、それを乗り越えて新たに「学ぶ」こと、それによって生きることもまた人間の選択の中にある
実学よりは文学が栄え、模倣と習慣が圧倒的に支配している状態が半開である
徳をめぐっては偽君子が出てくる可能性があるが、智の世界にあっては外形的な判定が明確なために、偽智者というものが存在する余地は少ない
安全や平和はそれが危機に瀕している限りにおいて切実な価値であるが、いったんそれが確保されれば「次に何をするか」が問題になる
半開から文明への転換の際に、重要な役割を果たしたのは「疑う」勇気であった
「問いかけ」抜きの事実や事実関係というものはない(中略)事実、無数の「問いかけ」をめぐる競争を通して無数の新しい知や専門分化が起こったのであった
「勉強」には手本があり、明確な答えが想定されるということを考えると、そこには一種の自己完結性が潜んでいる。言い換えれば、「わかっていること」の再確認がここでのテーマである。これに対して「学ぶ」という行為には自己完結性では収まり切らない、オープンで積極的な知的態度が内蔵されていると言ってよい。言い換えれば、「わかっていること」だけに終わるのでなく、それを「疑い」、「わかっていないこと」に挑戦することが含まれている
「従僕の目に英雄なし」という諺が意味するのは、自分に理解できないものは「ない」、「ないに違いない」、「ないことにする」という態度がいかに珍しくないかということである
かつて丸山眞男は現実とは「可能性の束」であるという名言を吐いた
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『学ぶとはどういうことか』佐々木毅・著 講談社
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◆目次◆
第一章 東日本大震災と「学ぶ」ということ
「想定」の呪縛
第二章 『学問のすゝめ』から「学び」を読み解く
「学び」の歴史的定式化
第三章 変革の武器としての「学び」
「変えられないもの」を「作り変えられるもの」に
第四章 「学び」の四段階
「勉強」で到達できないもの
第五章 何を「学ぶ」のか
学ぶ人のあり方
第六章 「学ぶ」ことの限界をめぐって
真の「学び」は「可能性の束」として現実にこだわること
第七章 専門性と「学ぶ」こと
プロフェッショナルの魂を求めて
第八章 政治に見る「学び」の姿
「学ぶ」ことに終わりはあるか?
あとがき 「学び」は人生の可能性へのチャレンジ
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