【科学的無知を卒業する本】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344982207
本日の一冊は、理系作家として知られる森博嗣さんが、「科学的」の意味を解説した読み物。
東日本大震災後の原発報道で、日本人の科学への無関心、非科学的態度が問題視されていますが、本書もそれをうけた内容です。
昨日紹介した『ビジネスプロフェッショナルの教科書』にもあったように、ビジネスではファクト(事実)を押さえることが大事。
※参考:『ビジネスプロフェッショナルの教科書』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822230597
しかし、何が事実で、何が意見で、何が感想かを分けて考えることは、意識しないとできないものです。
ツイッターやフェイスブックなどのメディアが登場することで、ますます「主観」が流通しやすくなった社会。
そのなかで科学的態度を保つために、どうすればいいか、本書はそのための考え方を教えてくれます。
「難しいことはいいから、結論だけ言って」という姿勢の問題点、数字を知り、評価することの大切さ、名称にとらわれることの危険…。
指摘されるまでわからないわれわれの非科学的態度と、それに伴う問題点を指摘した、じつに示唆に富んだ内容です。
さすが作家の文章だけあって、とても読みやすいので、気負わずにぜひ読んでみてください。
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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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この科学全盛の時代にあって、大勢の人たちは、むしろ科学を自分から遠ざけようとしているようだ。「そんな難しいことは専門家に任せておけば良い」と考え、なるべく関わらないようにしている
現代社会は民主主義を基本として動いている。大衆が方向性を決める。一部の専門家がすべてを決めることはできない。だとすると、大勢の人が非科学的な思考をすれば、それが明らかに間違っていても、社会はその方向へ向かってしまう
自然の猛威から人間の命を救うことは、可能である。それができるのが「科学」であり「技術」なのだ。極端な言い方になるけれど、科学的な知識を持っていることが、身を守る力になる
「花」という漢字の形を覚えること、あるいは読み方を覚えることは、つまりは、一対一の対応を頭の中に記すことで、データをインプットすること(あるいはデータの関連を整理すること)に等しい。ところが、「1+1=2」を教えられたとき、それは「1+1」と「2」の関連をデータとして覚えることではない
5メートルの津波が、5メートルの防波堤に当たっても、それで止まるわけではない。普通の波ならばはね返っていくが、波のようにそこだけが高いわけではなく、その後ろにもずっと5メートル持ち上がった海水があって、どんどん打ち寄せる。そうなると、防波堤に当たって返る波と合わさり、さらに水面は高く持ち上がる。10メートルの防波堤があれば、それよりも高くなろうとする(中略)基本的な道理を理解していれば、「10メートルの防波堤」があれば「5メートルの津波」が来ても百パーセント大丈夫だとは考えないはずである
数字をまず知り、それを評価することが大事だ
たとえば、広い場所や、巨大な量を表すときに、「東京ドームの何倍」という表現がよく使われる。数字よりはその方がイメージしやすいらしい。しかしそれは、逆にいえば、普通の数字で大きさがイメージできない人が大勢いることを意味している
それぞれが個人で考え、個人で感じていれば、そこまで社会が一方向へ進むような危険はまずないはず
「幽霊はいると思いますか?」という質問を何度か受けたことがある(中略)まず、この「いると思いますか?」という質問が変なのだ。僕がどう思っているのか、ということは、ものの存在とは無関係なのである
常にそれが再現できること、誰にも観察ができること、それが科学の基本である
実験結果は必ずしも真実ではない
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『科学的とはどういう意味か』森博嗣・著 幻冬舎
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◆目次◆
第1章 何故、科学から逃げようとするのか
第2章 科学的というのはどういう方法か
第3章 科学的であるにはどうすれば良いのか
第4章 価格とともにあるという認識の大切さ
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