2007年2月15日

『下流志向』

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本日の一冊は、神戸女学院大学文学部教授の内田樹さんが、最近の格差社会関連、教育関連の書を紐解きながら、「学ばない子ども、働かない若者」の理由に迫った一冊です。

著者は冒頭で、「今や世界で最も勉強をしない子どもたちになってしまった」日本の子どもたちの現状を指摘し、その背後にある心理状況に迫っています。

本書によると、勉強に意欲的ではなく、「先生、これは何の役に立つんですか?」と尋ねる子どもは、教師をサービスを提供する側、自分たちは利用する側としてとらえています。

このように、子どもたちは「消費者マインドで学校教育に対峙している」わけですが、教育の本質(著者がいうところの「教育の逆説」)から言うと、この態度は適切ではありません。

著者によると、「教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育過程が終了するまで、言うことができないということにあります」。

つまり、自分が何のために学ぶかわかっている範囲内で学ぶのは、真に学ぶことにはならないというわけで、これは社会人にとっても耳の痛い話です。

後半の労働に関する部分は、著者の領分を逸脱している感がありますが、教育問題と社会問題について論じた部分は読み応えがあります。

論拠があいまいな部分もありますが、ひとつの貴重な意見として、ぜひ読んでおきたいところです。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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「仕事をするか、しないか、それは私が自己決定することだ。法律
でがたがた言われなくないね」とほとんどの人は思っているはずで
ある。しかし、それが憲法に規定してあるというのは、労働は私事
ではないからである。労働は共同体の存立の根幹にかかわる公共的
な行為なのである

彼らは「自分の知らないこと」は「存在しない」ことにしている

今の子どもたちと、今から三十年ぐらい前の子どもたちの間のいち
ばん大きな違いは何かというと、それは社会関係に入っていくとき
に、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだと思います

社会的能力がほとんどゼロである子どもが、潤沢なおこづかいを手
にして消費主体として市場に登場したとき、彼らが最初に感じたの
は法外な全能感だったはずです

起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知
らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えな
いというところから始まるものなのです。というよりむしろ、自分
が何を学んでいるのか知らず、その価値や意味や有用性を言えない
という当の事実こそが学びを動機づけているのです

現代日本人は「迷惑をかけられる」ということを恐怖することにつ
いて、少し異常なくらいに敏感ではないかと僕は思います。「迷惑
をかけ、かけられる」ような双務的な関係でなければ、相互支援・
相互扶助のネットワークとしては機能しません

労働主体が自分の作り出した価値の一部を他者に贈与しなければな
らないと感じるのは、労働主体として立ち上がったときに、すでに
他者からの贈与を受け取ってしまっているからです。気がついたつ
きにはすでに自分は「債務者」である。だから、その「債務」を清
算しなければならない。この「始原の遅れ」の意識がオーバーアチ
ーブすることを私たちに義務づける。これが労働の人類学です

「自己組織化する製品」なんてこの世に存在するわけがないから。
そこらへんに置いておくだけで自動的に機能が高度化する電化製品
とか、戸棚に入れている間にどんどん風味がよくなる缶詰とか、あ
りえないでしょう。でも、人間が教育を通じて身につける最良の資
質というのはそういう力なんです。時間が経過するにつれて、さま
ざまな経験を取り込んで、自分自身の質を向上させていく能力、教
育の目標はそれを習得させることに尽きる

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『下流志向』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062138271
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■目次■

まえがき
第一章 学びからの逃走
第二章 リスク社会の弱者たち
第三章 労働からの逃走
第四章 質疑応答

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