2017年4月8日

『夕あり朝あり』三浦綾子・著 vol.4643

【こんな本ばかり読んで暮らしたい】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101162212

本日ご紹介する一冊は、日本で最初のドライクリーニングを手掛けた、白洋舎の創設者、五十嵐健治氏の生涯を、作家の三浦綾子さんが、自分語りの伝記としてまとめた一冊。

もともとは、五十嵐氏と知己を得た三浦綾子さんが、生前、病床で許可を得て書き始めたもので、当初は新聞連載小説として書かれたもののようです。

北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞などに、1986年9月から翌年5月にかけて掲載され、さらにその翌年の1988年9月、新潮社が一冊にまとめ、初版刊行。好評を博したようです。

ちょっと長いですが、本書には藤尾正人氏による素晴らしい解説が付されているので、これを引用します。

<おそらく三浦綾子は、新聞連載のペンを握り始めたその年から数えて、ちょうど三十年前の昭和三一年(一九五六)に交わりの始まった五十嵐健治が、耳元で話してくれたその声を思い出しつつ執筆を開始したのではあるまいか。昭和三一年当時、まだ堀田姓の綾子は旭川の自宅の北向きの薄暗い六畳間で、来る日も、来る日もギプスベッドの中に、肺結核と脊椎カリエスを病んで横たわっていた。いま有名になった三浦綾子をたずねる人、またたずねたい人は、うんざりするほどたくさんいる。しかし貧しく、無名の、しかも日本の北の果てに近い旭川に、病をやしなう堀田綾子を海を渡ってはるばるたずねる見舞客はいなかった。そこへ五十嵐健治が湘南の茅ヶ崎からしばしばたずねて行ったのである。健治は東京証券市場一部上場企業・白洋舎相談役の身でありながら、しかもはじめは堀田綾子から面会を謝絶されながら、辞を低くして尋ねていった。そして彼女のベッドの傍らで、くりかえしキリストの愛を聖書を開いて語るとともに、自分の子供のころからの放浪ばなしや、この北海道の小樽でキリストを信じるに至った波乱に満ちた物語りを枕もとで語り聞かせた。(中略)だれが想像しえたであろう。貧しく、無名の、この病める娘が、のち日本を代表する著名な女流作家となって、自分をはるばる見舞ってくれたその人物の伝記小説を三十年後に書こうとは>

だからでしょうか。本書には、他人が書いたとは思えない、五十嵐健治氏の生々しい息遣いを感じるのです。

生まれた8カ月後に母が離縁され、後に養子に出され、何度も無一文になりながらも、五十嵐家再興のために尽力し、紆余曲折を経てクリーニングの世界にたどり着いた著者。

その生涯は、下手な小説以上にドラマチックで、人情味にあふれています。

人生や仕事選びに役立つのはもちろん、読むだけで生きるエネルギーが湧いてくる一冊です。

チェックしまくって赤ペンだらけになりましたが、本書から気になったポイントをピックアップしてみましょう。

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(今に見ていろ)
こんな気持が沸々として心にあった。だが人の目には、貧しい家の長男がぶらぶらしているのは、只の怠け者としか映らない。そんな頃です、私は実家の船崎から一冊の本を借りて来た。それは田中平八、またの名は天下の糸平として、その名を響かせた人物の伝記でした

その夜、私はもう絶対酒を飲むまいと思った。しかし酒は魔物ですなあ。きちがい水と言われるだけあって、私の性根を狂わせてしまった。飲んだのですなあ、その晩も。そして遂に実父がやって来ました。むろん、番頭たちが帰った夜のことです。私がいつものように、酒を飲み終わったところに、実父はやって来た。雨戸を叩く音に、「どなたですか」と答えると、「おれだ!」という厳しい父の声。あれには参りました。何しろ、たった今飲み終わったばかりでしたからな

「健治、商人は信用が命だ。こんな小さな店で、人の信用を失うような者が、どうして大きな仕事ができるか。酒が飲みたければ、自分の金で飲め。そんな根性では、只ぶらぶらと、定職も持てずに一生を終るかも知れんぞ。どうせ盗むなら、吝な盗み飲みではなく、一国でも盗め」

「義理ある人には、尽くさなければいけないよ。このおっかさんのことなど忘れたほうがお前の幸せになるからね」

私はこの歳まで、いろいろな人に会ってきましたが、広田氏父子は稀に見る人たちでしたな。こちらの体も心も疲れきって、しおしおとしている時には、一言半句も咎めなかった。充分に力のついたところで、穏やかに諭してくれた

住吉屋の夫婦の祈りはこうでした。先ず貧しい者たちにも食事が与えられるように、と祈るのですな。これには私も驚いた。(中略)次いで主人が祈ったのは、「親のない子をお守りください」

人間というものは不思議なものですなあ。何が何でも金持になって、五十嵐家を再興しようと思っていた私には、金以外のものは何の価値もないように思われた。それが、国のために身を投げ出そうとの願いに燃えた時、金はもはや何の価値もないものとなった

全くありがたいもんですなあ。一心に働きさえすれば、認めてもらえる。世の中というのは、そうそうこちらの努力に応えてくれるものとは限らないものです。こちらの真心に感じてくれるものとは限らないものです。しかし、時にそういう人に巡り合うことがある

明治の頃の洗濯業というのは、残念ながら世間から高く評価をされていなかった。業者もまた洗濯業というものが、国家社会の被服経済と、どれほど重要な関わりがあるかを自覚していなかった

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最近、「書籍ってすごいな」と思うのですが、それはこんな感動がたった数百円で買えてしまうということ。

先日、お亡くなりになった大岡信さんが、生前におっしゃっていた言葉があります。

「IT、ITって言うけれど、その節約した時間で人間は何をするんでしょうね?」

土井はこの言葉を聞いて、コンテンツの仕事をしようと思い至ったわけですが、この傾向は、AIやロボットの普及によってますます進むのだと思います。

どんなに戦略が正しくても、どんなに素晴らしい武器があっても、どんなにメリットや合理性があっても、人間は心の栄養がなければ、前に進めない生き物です。

本書は、何をしていいかわからない豊かな時代の人間に、生きるとはどういうことか、職業選択とはどういうことかを教えてくれる、生きた教科書だと思います。

ぜひ読んでみてください。

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『夕あり朝あり』三浦綾子・著 新潮社

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http://bit.ly/2nkrPrx

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◆目次◆

二人の母
大樹
ハハキトク
疾走
宿の主人たち
印半纏
監獄部屋
波打際
井戸
大手門
袋小路


転機
ベンゼン・ソープ
一難去って
挫折
酒と米
大震災
風雲
得失
試練
追記
解説 藤尾正人

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