2017年3月20日

『すべての教育は「洗脳」である』堀江貴文・著 vol.4625

【ホリエモンの脱・学校論】
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作家の橘玲氏が、ベストセラー『言ってはいけない』の終わりに、じつに興味深いことを書いていました。

※参考:『言ってはいけない』
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<私は、不愉快なものにこそ語るべき価値があると考えている。きれいごとをいうひとは、いくらでもいるのだから>

本日ご紹介する一冊は、まさにその<不愉快なもの>に該当する一冊。

堀江貴文氏、通称ホリエモンによる教育論です。

日本の学校教育を徹底批判し、その結果生まれてきた日本人の特質や文化を批判する。

賛否両論、大荒れ必至の論考ですが、あえて紹介することにします。

不愉快な物言いを好まない方は、最初から読まないことをおすすめします。

本書の論調は、こんな感じです。

<旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ>

<なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか? その常識によってどんな人間を育てようとしているのか? 一言でいえば、従順な家畜である>

<学校の大きな役割は二つあった。一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育てあげることだ>

著者は本書のなかで、国民国家の存在意義についても言及しており、正直、「あ~あ、本当のこと言っちゃった」という印象でした。

国民国家が存在意義を失ったかどうかは議論の余地があると思いますが、以下の指摘は、覚えておくべきでしょう。

<国家が育成したいのは、第一に優秀な「国民」である。国家が国民に求める「務め」は、大きく三つある。兵士として戦うこと、出産すること、そして納税だ>

すべて本質を突いた議論ではありますが、「常識」にどっぷり浸かった方にとっては、かなり混乱をきたす内容でしょう。

さっそく、ポイントをチェックしてみます。

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普通に暮らしている限り、「常識」という教義の危険性に気づく機会は少ない。それは「常識」の洗脳が、国家ぐるみで行われているからだ。国家は、全国に4万6000箇所もの“出先機関”を設け、この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。その出先機関とは、「学校」だ

そもそも学校は、工場の誕生と連動して作り出された機関

もし仮に、一つのフィクションを共有できる人間のことを「仲間」と呼ぶのであれば、国家というフィクションは百害あって一利なしだ。なぜなら、このフィクションこそが数多の激しい戦争の要因であり、差別の温床だからである

僕たちの周りにはびこっているフィクションは、とうに古び始めている。そろそろ、新しい時代のための、新しいフィクションが必要だろう

N幻想がなくなり、誰もが共有する「幸せの正解」がなくなった現在、人は国民ではない「民」の一人として、自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。それは、画一的な「学校」で教えられるものではないというのが僕の意見だ
※N:国民国家の略

G人材の最大の特徴とは何か。それは実は、「所有からの解放」にある。彼らは、「所有」に価値を置かずに生きることができるのだ
※G:グローバルの略

人々は、「所有」よりも「アクセス」を、そしてその「アクセス」から得られる「楽しさ」を求めて生きるようになるはずだ

「所有」のために「やりたくないこと」に従事する時代は終わった

あらゆるイノベーションを生み出すのは、「お勉強」ではなく「学び」だ。夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考を巡らし、新機軸を思いつくことができる

野球に没頭すれば「野球バカ」と言われ、化学に没頭すれば「化学バカ」と呼ばれる。没頭している何かについての価値判断より、できていない部分の量によって「バカ度」を測られるのが学校という場なのである

貯金は「無駄」。それが僕の、昔から変わらない考え方である。なぜか?「貯金」は、ただの現状維持に過ぎないから。1万円を使わないことで、「1万円のまま」残す。そこには何の成長も、喜びも
ない。もし、あなたが自分自身の価値をもっと高めたいと思っているのであれば、するべきことははっきりしている。「投資」だ

過去を再利用しない

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あらかじめ申し上げておくと、土井は著者の主張には完全に賛成するわけではありませんし、著者がこうして立派に伝わる文章を書けていること自体、日本の教育の成果だと思っています。

ただ、「公教育」と「私教育」というのは本来違うものなのに対して、この国の教育論はこれをごちゃまぜにして論じている点がこれまでも気に入りませんでしたし、次の時代を見据えた教育については、国民全員で議論すべきものと思います。

現在の日本の教育では、哲学やお金を教えませんし、宗教も教えません。これでは、グローバル化の時代に、他国のエリート層とわかり合うのは難しいでしょう。

そういう意味で本書は、日本の義務教育について議論する、とても良いきっかけとなる本だと思います。

ぜひチェックしてみてください。

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『すべての教育は「洗脳」である』堀江貴文・著 光文社

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◆目次◆

はじめに 「何かしたい」けど「今はできない」人たち
第1章 学校は国策「洗脳機関」である
第2章 G人材とL人材
第3章 学びとは「没頭」である
第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!
第5章 会社はいますぐ辞められる

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