2016年9月28日

『知性について他四篇』ショーペンハウエル・著 vol.4452

【知的に生きるとはどういうことか】
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3日間続けて、古典名著を紹介しています(これでラストです)。

本日ご紹介する一冊は、19世紀に活躍したドイツの哲学者で、ニーチェやフロイトにも影響を与えたという、ショーペンハウエルによる著作の一部。

もともとは、氏の老年期の著作『哲学小論集』に収められていたものの一部を訳出したもので、タイトルは本書の3つ目のトピックである「知性について」から取っているようです。

訳者も「あとがき」で書いているように、人生に対する徹底したペシミズムが根底に流れており、そのなかで知的に生きるとはどういうことか、良いヒントが得られる随筆集です。

最初の「哲学とその方法について」は、かなり本格的で骨が折れますが、「論理学と弁証法の余論」は、物を書いたり人前で話したりする人間にとっては実践的で大いに役立ちますし、「知性について」に至っては、人生について考える良いきっかけとなります。

読書家で、知的レベルの向上に伴って厭世的になったり、社交嫌いになった方にとっては、以下の部分はかなり共感できる部分ではないでしょうか。

周りの方は、大いに気遣ってあげて欲しいものです(笑)。

<不朽の傑作の作者が彼の後世からみていかにも偉大で感嘆すべく興味ぶかい人間のようにみえるならば、それだけ彼の存命中には、他の人々が卑小にみすぼらしく味気なく見えたはずなのである(中略)してみれば、天才を具えた人々がたいていは社交嫌いと思われ、時には人の反感を買って近づきにくく思われてきたのも、怪しむに足りないであろう。それはすなわち、社交性が欠けていたためではないのである>

また、芸術や哲学の意味や意義についても考えさせられる良いきっかけとなりました。

いくつか、気になった部分をチェックしてみましょう。

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ほとんどすべての人間は、自分があれこれの特定の人間であるということを、そこからみちびきだされる系をも含めて、たえず気づかっている。これに反して、自分がそもそも人間であるということ、そしてここからいかなる系がでてくるかということは、ほとんど彼らの念頭に浮かばない。けれども実は、これが大切なことなのである。はじめの命題よりもあとの命題の方に心を寄せる少数の人々が、すなわち哲学者である

意志に奉仕する知性にとって、すなわち実際的に使用される知性にとっては、存在するものはただ個々の物事のみである。芸術と学問にたずさわる知性にとって、すなわち独立に活動している知性にとっては、存在するものは、すべて種とか属とか類とかのような普遍的存在のみであり、事物のイデア(理念)のみである。造形的な芸術家さえも、個体の中に理念を、すなわち類を表現しようとしているのである

対話形式を選ぶ場合には、さまざまな見解の根本的相違を強く浮き上がらせ際立たせることによって、それを真実に劇的なものにしなければならない。実際に双方に発言させなければならないのである。かような狙いがない場合には、対話形式も無用な戯れである。たいていの対話篇がこういうものである

矛盾と虚偽が存在するところには、客観的把握から発したのではない思想があるわけで、たとえば楽観主義の中にはこういう思想がある

宗教は一面では、早くからわれわれの心にその教義を刻みつけて、形而上学的素質を麻痺させ、他面では、その素質の自由闊達な表現を禁止弾圧する

他人の意見に対してわれわれが提出する異論に彼の耳に傾けさせるには、「前には私も同じ意見をもっていたのだが……」という言い方ほど適切なものはない

知性の理解力は、外延量ではなくて、内包量である。だから、この点においては、一人の人が平気で一万人に対抗することができるし、幾千人の愚物を集めても、ただひとりの賢者に及ばないのである

知性が必要な程度をすでに越えたときに、はじめて認識が多かれ少なかれ自己目的になる。してみれば、ある人間において知性がその自然の本分──すなわち意志への奉仕と従って単に事物間の諸関係の把握──を越えて、純粋に客観的な認識にたずさわるということは、まったく異例の出来事であるわけである。だが、まさしくこれこそ、芸術と詩と哲学の源泉なのであって、従ってこれらのものは、もともとそのために作られたのではない器官によって生みだされるわけである

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<本格的に哲学するためには、精神が本当の閑暇をもっていなくてはならない>という記述を読んで、今回の長旅が正当化された気がします(笑)。いや、本当にそう思ってやっているのですが。

本書でショーペンハウエルが言う「天才」には及びもしませんが、これを読むことで、せめて本当の天才が目の前に現れた時に、理解できる人間ではありたいなと思っています。

ビジネス書は、基本「意志」を重視するものですし、意志が欲するものを手に入れるための方法論を論じているため、仕方ないのですが、そこには自ずと知的限界が出てくるものだと思っています。

かつては土井も、意志に従って欲しいものを手に入れることこそ正しい、と思っていた時期がありましたが、日本が成熟社会に入ると、いよいよ芸術や文化、学問、思想といった部分に興味を持たなくてはならないと考えています(そのためのミラノ、パリ訪問です)。

ビジネスと芸術を対立軸に置くのではなく、融合していくこと。

それこそがこれからのあり方ではないかと、本書を読んで考えました。

人によってさまざまな受け取り方があると思いますが、ぜひ読んでみてください。

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『知性について他四篇』ショーペンハウエル・著 細谷貞雄・訳 岩波書店

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◆目次◆

哲学とその方法について
論理学と弁証法の余論
知性について
物自体と現象との対立についての二三の考察
汎神論について

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