2015年2月12日

『鉄道王たちの近現代史』小川裕夫・著 vol.3859

【これは掘り出し物!】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781650341

本日の一冊は、日本の鉄道と経済の歴史を、都市計画、地方自治、鉄道などをテーマに取材し続けるフリーランスライターの小川裕夫氏がまとめた一冊。

塩野七生さんをはじめ、面白い歴史本を書く著者は、決まって「英雄」や「ドラマ」を軸に歴史を描くものですが、本書のテーマも「鉄道王」であり、これが面白くないわけがありません。

高島町駅の起源となった高島嘉右衛門(高島易断の創始者として有名)、日本の鉄道のレール幅(軌間)を決めた大隈重信、山間部の勾配を抑えてスピード競争を制し、電灯を導入して山陽鉄道を人気路線にした中上川彦次郎、日本の「鉄道の父」井上勝、私鉄のビジネスモデルを作った小林一三…。

名立たる実業家と鉄道の関わりを明らかにし、また日本の産業の歴史を鉄道を中心に概観できる、じつにエキサイティングな読み物です。

本書に登場する「鉄道王」たちのなかから、日本の鉄道建設に裏から貢献した高島嘉右衛門のエピソードを抜き出してみましょう。

<現在、高島は高島易断の創始者として世間に知られている。しかし、鉄道史にも大きな功績を残している。たとえば東海道本線を建設するにあたって自分の土地を無償提供し、その地には高島にちなむ高島町駅がつくられている(のちに横浜駅の移転により国有鉄道の駅としては廃止)。高島は伊藤や大隈に「鉄道が開業すれば、日本の大きさは三五里に縮まる」と説いた。これは鉄道が日本のすみずみまで行きわたることで、移動時間が三分の一に短縮されることを意味している>

<高島は横浜で旅館経営を手がけていた。東京と横浜は徒歩なら一日、馬車でも半日かかる。鉄道が開業すれば東京と横浜は約一時間に短縮されて日帰り圏内になる。鉄道が開業すれば横浜の旅館は宿泊者が減少してしまうだろう。廃業する危険性だってあった。それでも高島には大量輸送、速達化という鉄道のメリットは魅力的だった。伊藤と大隈は高島から鉄道建設の話を持ちかけられて鉄道建設を急いだ>

東海道本線を建設するにあたって、高島嘉右衛門が自分の土地を無償提供していたという話や、大隈重信が鉄道幅を狭軌(1067ミリメートル)にして後悔していたという話(レール幅が狭いと輸送力が落ち、安定性に欠ける。国際標準は1435ミリメートル)、富岡製糸場の生糸輸出を支えたのが鉄道だったという話など、ビジネスマンなら知っていて損のない雑学がびっしり詰まっています。

ビジネスや経済活性化のヒントも散りばめられていて、じつに興味深い内容でした。

これはぜひ、読んでみてください。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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アメリカが日本国内で鉄道事業に参入しようとしていたのを阻止した立て役者は岩倉具視、伊藤博文、大隈重信の三人だった

狭軌は線路用地が少なくてすむ一方で、車両がコンパクトになるので輸送力は落ち、安定性に欠けるので走行スピードも遅くなる。大隈の指示により、日本全国の鉄道は狭軌で建設された。世界的に一四三五ミリメートル軌間が標準であるのに対して、日本は一〇六七ミリメートル軌間が標準になってしまったのである。後年、大隈は鉄道を一〇六七ミリメートル軌間にしたことを後悔している

西洋では産業革命によって工業化が進んだ。機械化による大量生産が可能な西洋と人力の日本。機械化された西洋製品に日本が太刀打ちできるわけがなかった。政府は外貨獲得戦略を推進するにあたり、海外と対抗できるコンテンツを調査した。するとメイド・イン・ジャパンでも“茶”と“生糸”は海外でも評判がいいことがわかった(中略)明治五(一八七二)年から明治政府は官営富岡製糸場で操業を始める。生糸の大量生産が可能になった一方で、富岡で生産された生糸をどうやって横浜まで運ぶのかに頭を悩ませた(中略)日本鉄道が上野駅──高崎駅間を開業させたことで生糸輸送の効率は格段にアップする

日本鉄道の線路建設にあたり、政府が線路用地に官有地を提供したり作業員を工面したりした裏にも井上(勝)なりの考えがあった。先述したように、線路用地に官有地を提供すれば、そこに線路が敷設される。いわば政府が意図したルートで鉄道がつくられる。作業員を工面した理由は彼らの食い扶持の確保という側面があった。政府が建設する次の路線は決まっていないが、政府主導の鉄道建設はいずれ再開する。しかし、それまでの間、作業員を無給で過ごさせるわけにはいかない。仮に食い扶持を求めて作業員が転職してしまったら鉄道技術は離散する

農村で人口が少ないデメリットを逆手に取り、小林(一三)は沿線の田畑を買収する。そして買収した田畑を住宅地として開発していった。住宅販売の売上は鉄道会社の経営を支えた。また同時に沿線に住むサラリーマンが箕面有馬電気軌道に乗って梅田駅まで通うようになって運賃収入も増加する

都心まで走ってきた電車はそこから逆側に引き返さなければならない。この引き返す電車が空のままでは鉄道会社にとって非効率になる。阪急の総帥小林一三は郊外の広い空き地に目をつける。小林は阪急沿線に広大な土地を必要とする大学を誘致することを思いつく

鉄道発祥の地イギリスではすでに時刻表が発行されていた。これらを見た福沢諭吉はその必要性を感じて塾生に説いたという。荘田も手塚も慶應義塾出身だから、そうした縁から時刻表の話が持ちかけられたとの推測が成り立つ。手塚が創刊した『汽車汽船旅行案内』はたちまち爆発的なベストセラーになった

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『鉄道王たちの近現代史』小川裕夫・著 イースト・プレス
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781650341

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◆目次◆

第一章 鉄道王がつくった「この国のかたち」
第二章 鉄道と原発
第三章 鉄道と都市計画
第四章 鉄道と百貨店
第五章 鉄道とリゾート
第六章 鉄道と地方開発
第七章 鉄道とエンタテインメント
第八章 鉄道と旅行ビジネス

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