2016年10月12日

『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる・著 vol.4466

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478069654

本日の一冊は、作家・コラムニスト・哲学ナビゲーターの原田まりるさんによる、初の哲学エンターテインメント小説。

恋に破れ、家族との関係もいまいちな17歳の女子高生・児嶋アリサの前に哲学者・ニーチェが現れ、「哲学する」とは何か、人間はどう生きれば良いかを説くという、大変興味深い内容です。

京都「哲学の道」の側で育ったという著者だけに情景描写も細かく、本当にニーチェやキルケゴール、サルトル、ショーペンハウアーが現代の京都に現れたかのよう。

かつて学んだ「超人」の概念や、永劫回帰を受け入れるという考えが、ある程度人生経験を積んだ今は、重く受け止められます。

現在の社会の一番の問題点は、成功にしろ幸福にしろ、何が正解か誰にもわからないことだと思いますが、本書はわれわれが直面するこうした悩みに、明確な回答を提示しています。

<たとえ同じような苦しみ、辛い出来事が繰り返されるとしても“それがまるごと自分の人生だ”と受け入れられること>

<“人生は無意味だから、どうでもいいや”ではなく“人生は無意味だから、自由に生きてやれ!”とただのニヒルではなく、積極的なニヒリストとして生きていけばいい>

誰かが創った「道徳」や「常識」に縛られ、自分も他人も苦しめている現代人に、本書は一筋の光を与えてくれると思います。

さっそく、気になる言葉をチェックしてみましょう!

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祝福できないならば呪うことを学べ ──ニーチェ

超人とは、どんな辛い状況や苦悩をも受け入れ強く生きる、人間を超えた存在のことだ

多数の賛同を得ている意見が“よい”と反射的に思ってしまうケースは珍しいことではないのだ。私はそれを“畜群道徳”と呼んでいる

手に入りそうにないものを見下し、斜に構える姿勢をとる“ルサンチマン”的視点から“自己中ではない自分”を神聖化する道徳が生まれることがある

考えてもみろ、アリサ。人間が、生きることに執着し、より強者であろうとすることが、悪いこと、かっこわるいことで、弱者であること、非利己的であることがよいこととされている風潮は“奴隷道徳”なのだ

いろんな価値観、いろんな視点があるということは、逆に絶対的な“正解”がないということだ。つまり、絶対的な“幸福”という答えやゴールが現代においてはないのだ

辛いことがあり、仮にそれが何度も繰り返されようとも、それでも『生まれ変わるのならば、また自分でありたい、そっくりそのままリピート再生したい』と思えるような生き方をすることだ

自分の持ち物がどうだとか、他人から見て自分はどう映るかということよりも、健康な精神を自分の内側に持つことの方が幸せに直結出来る

精神性が伴っていないと、たとえ大金が舞いこんできたとしてもすぐに使い切ってしまうだろう……そして、それには理由がある(中略)精神の乏しさと、むなしさから起こる退屈によってだ。むなしさを埋めるために、短絡的な快楽を追い求めるのだ。酒の席や、虚栄心を埋める買い物に、泡のごとく消えていくといった感じにな……

道具は、理由あって、存在する。つまり、本質あって、実存するのだ。しかし人間は違う。理由があらかじめ用意されていて、存在しているのではない。まず、生きている、存在しているという事実があるのだ。つまり理由が用意されていなくても、存在しているのが人間なのだ

実存的交わりが、人を孤独から救います

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じつは昨日、著者にもFacebook経由でファンレターを送ったのですが、いやあ、恐れ入った。面白い。

これ一冊で、あと10年は元気で生きて行けそうです。

ぜひ買って読んでみてください。

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『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』
原田まりる・著 ダイヤモンド社

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◆目次◆

※多すぎるので省略します

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