2013年11月17日

『日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎・著 vol.3407

【新しい歴史の見方?】
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本日の一冊は、ひさびさにハマった歴史教養本。

以前、地政学で100年後の世界を読み解いた、『100年予測』という本を紹介しましたが、本書はその地形版、日本史版といったところです。

※参考:『100年予測』
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・なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
・なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
・半蔵門は本当に裏門だったのか
・日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか
・脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか

など、「地形」の視点から歴史の謎に挑んだ力作で、知的好奇心を刺激する内容です。

本書によると、信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは、<逢坂と比叡山の地形に心から怯えていた>から。

自身、少数の軍で桶狭間の山中に乗り込み、今川義元を討ち取った信長は、大軍が山中で力を活かし切れないことを知っていたため、狭い逢坂峠、比叡山を怖れたというのです。

また、裏門と考えられている半蔵門は、じつは正門だったようで、その理由として、甲州街道が尾根道だったこと、二重橋や大手門が低平地だったことが指摘されています。

<戦国時代、街道の安全は最も大切な条件であった。どんなに雨が降っても浸水しない街道。頭上から敵が攻めてこない街道。その安全な尾根道が甲州街道、今の新宿通りであった。その安全な甲州街道と江戸城を結ぶ門が半蔵門であった。その半蔵門こそが地形上、江戸城の正門の資格を有していた>

歴史に詳しい方からは、事実検証の甘さを指摘されているようですが、記されているものが真実とは限らないことを考えれば、一つの面白い見方だと思います。

ビジネスマンとしては、権力者が何を怖れ、何を狙って行動したのか、戦略思考のトレーニングとなる内容です。

ミステリータッチで書かれているので、退屈することは一切なし。

一気に読めるので、ぜひチェックしてみてください。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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江戸は手に負えないほど劣悪で、希望のない土地だった

関東平野ではなく関東「湿地」だった

家康は湿地の下に隠れている宝の「関東平野」を見抜いた。今この地には利根川、荒川が流れ込み、水はけが悪く、雨のたびに浸水する劣悪な土地である。しかし、この利根川を遠くへバイパスさせ、水はけさえ良くすれば、ここは肥沃な水田地帯となる──

比叡山は京への侵入口の逢坂を見下ろしていた。信長はその比叡山と逢坂の地形関係に耐えられなかった。16世紀の世界最強の織田軍団は逢坂の地形を嫌った。どのような強力な軍団も、緑繁る日本の山中ではその強さを発揮できない。日本の峠越えはどこも狭い。馬1頭、せいぜい2頭が並ぶ程度の幅でしかない。このような峠越えでは、軍の隊列は細長く伸びきる。そのような時、大将隊を横から攻撃して、前後の隊を切り離してしまえば、大軍はまったく役に立たない。孤立した大将隊は簡単に崩壊してしまう。歴史上、そのことを一番よく知っている人間がいた。それは、織田信長その人であった

京への入口である逢坂峠を自由に行き来する。それが、信長の比叡山焼き討ちの目的であった

権力を握った者がどこを本拠地としたかは、興味ある歴史のテーマだ。その本拠地を見れば、その権力者が何を考えていたのかうかがい知れる。さらに、その権力者の本拠地を見る場合、その前の権力者の本拠地を見るとよい。なぜなら、新しい権力者はそれ以前の権力者の本拠地を見詰めて何かを学んでいるはずである

甲州街道は五街道の中で際立った特徴を持っている。東海道、中山道、奥州道、日光街道の四街道は江戸城に直結しない。これらの四街道は江戸城を斜めに見ながら江戸市内に入る。しかし唯一この甲州街道だけが江戸城に向かってまっすぐ配置されているのだ

戦国時代、街道の安全は最も大切な条件であった。どんなに雨が降っても浸水しない街道。頭上から敵が攻めてこない街道。その安全な尾根道が甲州街道、今の新宿通りであった。その安全な甲州街道と江戸城を結ぶ門が半蔵門であった。その半蔵門こそが地形上、江戸城の正門の資格を有していた

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『日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎・著 PHP研究所
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◆目次◆

第1章 関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か
第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか
第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか
第7章 なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか
第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか
第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか
第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか
第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか
第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か
第13章 なぜ江戸無血開城が実現したか
第14章 なぜ京都が都になったか
第15章 日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか
第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか
第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか

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