2007年5月4日

『経験と教育』

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061596802

今日ご紹介する一冊は、19世紀から20世紀にかけて活躍したアメリカを代表する哲学者、ジョン・デューイによる教育論です。

ご存知の通り、デューイは当時、プラグマティズムの実験主義哲学によって、進歩主義教育の理論的な基礎づけをした方ですが、その主張は、現在の教育問題にも適用できる、示唆に富んだものです。

われわれの社会において、教育の持つ役割とは何か、成長を促す教育や経験の本質とは何か、そこにおける教師の役割とは何なのか。

現在活躍中の教育論者、育児専門家、教師や親、そして何らかの形で教育に携わっている人々に、ぜひ読んでもらいたい、本質的な議論です。

仮に読者が教育関係者でなくとも、自らの学習や経験を見直す良いきっかけになることは間違いありません。

ちょっと日本語表現が硬いですが、それだけにきちんと読んだ人が少ないのも事実。

自らの人生、そしてみなさんがケアする人々の人生を豊かにするために、ぜひ頑張って読んでいただきたい一冊です。

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▼ 本日の赤ペンチェック ▼
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新運動を推進している人たちは、たとえ「進歩主義」という主義に
立っていたとしても、教育については、なんらかの主義という見地
からではなく、「教育」それ自体の側面から再考しなければならない

教育の主要な目標や目的は、教授することにさいしての教材を包含
している知識の組織化された統一体と、あらかじめ用意された熟練
様式を子どもたちに習得させることによって、子どもたちに対する
未来の責任と生活上の成功を準備してやることにほかならない

既成の組織原理をまったく拒絶さえすれば、それで十分満足である
と考えてしまうと、その組織原理が経験の基礎のうえに意味してい
るものや、そのような原理がどのようにして獲得されたものである
かについて見つけ出そうとする努力はしないですむことになる

どのような経験も、つぎに展開してくる更なる経験の成長を阻止し
たり歪めたりするような影響をもたらすようでは、それは非教育的
なものであるといわざるをえない

経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すた
めには、直接的な快適さをはるかに越えた種類の経験が求められる

教育者は未成熟者個人を個人として共感する理解力をもたなければ
ならない。その共感力が、学習している人びとの精神のなかで実際
に進行しているものについてのアイディアを、教育者に与えてくれる

経験を引き起こす源は、個人の外にある

幼児にビーフステーキを食べさせないということは、栄養に富んだ
ビーフステーキの性質を非難することにはならない。それは小学校
の一年生や五年生に三角法を教えないことが、三角法に対する不当
な非難にはならないのと同じことである

永遠に重要である唯一の自由は知性の自由であり、すなわち、本来
的に価値が備わっている目的のために観察や判断がなされる自由である

教育者は他のどのような職業人よりも、遠い将来を見定めることに
かかわっているのである

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『経験と教育』
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┃▼目次▼
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┃ 著者のまえがき
┃ 編集者のはしがき
┃ 第一章 伝統的教育対進歩主義教育
┃ 第二章 経験についての理論の必要
┃ 第三章 経験の基準
┃ 第四章 社会的統制
┃ 第五章 自由の本性
┃ 第六章 目的の意味
┃ 第七章 教材の進歩主義的組織化
┃ 第八章 経験――教育の手段と目的
┃ 訳者あとがき

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