2005年5月26日

『沈黙のことば』

http://tinyurl.com/8p7hv

本日の一冊は、久しぶりに古典的名著のご紹介です。

本書は、1966年に初版が出された、文化、行動、思考に関する考察の書であり、タイトルで謳っている『沈黙のことば』というのは、「コミュニケイションのもつ『知覚されない』側面」である、文化を意味しています。

著者が前段で書いているように、「文化がわれわれの生活をどれほど広範囲に規定しているかを明らかにすること」が本書の目的であり、この本から得られる知見は、インターネット時代にも有用であると考えます。

インターネットの世界では、コミュニケーションがテクニカルな意味での言葉に限定されがちですが、本書が示す「時」や、「空間」「性別」などの文化的な意味の違いを読んでいると、いかに言語以外の要素が重要なのか、ということに気づかされます。

そして、重要なことは、こうした文化というものが、国や地域によってまったく異なっているということです。

ある国では男性的と見なされているものが別の国では女性的だと思われていたり、ある国では完全に遅刻と思われるような時間のずれがある国では許容されたりということが、よくあるのです。

本書を読むことは異文化を学ぶことの必要性を学ぶことであり、またしても人間が無意識のうちに「記号」に封じ込めた認識や行動パターンを知ることなのです。

もっと前に出会っていたら『成功読書術』に加えたかった一冊です。

※参考:『成功読書術』
http://tinyurl.com/52sdn
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■ 本日の赤ペンチェック
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「時」はものをいうことができる。ことばよりもさらに明瞭に話す

早朝の電話は、ことがきわめて重大かつ緊急なものであることを示すのが普通である。夜十一時以後の電話についても同じことがいえる

文化というのは物を明らかにもするが、それ以上に隠蔽もする。しかも奇妙なことには、なにがみえないといって、自分自身の文化ほどみえないものはない

ある文化において男性によって示される行動が、文化が違うと女性的なものとして分類されることがありうる。すべての文化は男性と女性とを区別するが、通常、特定の行動型が一方の性と連携すると、それは他方の性からは脱落してしまう

学習は、それが言語を使用することに時間と空間の中に拡張されることができたとき、適応機構としての真価を発揮するようになった

子供の選択をあまり強く否定することは、折角の子供の模倣のこころみに干渉することになり、非公式な学習への芽をつみとってしまうことにもなりかねない

外国文化を理解しようとする際、「個」を少しでも多く学ぼうとする人がいるが、そのような努力をいくら積み重ねても果てしがない(中略)もし、「型」を考慮に入れないで「個」について語るならば、建築用のれんがについて論ずるさいに、どんな家であるかについて全然考えないのと同じである

文字どおり何千という経験を通して無意識のうちにわれわれは空間が伝達力をもつことを学ぶ(中略)ある文化の一構成員の中に引きおこされる連想や感情は、別の文化の構成員にとってはほとんど常に異なった意味をもつのである。外国人を「押しつけがましい」と評する時は、その外国人の空間のとり扱い方がわれわれの心の中にそのような連想を引きおこすことにほかならない
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『沈黙のことば』
http://tinyurl.com/9mlso
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■目次■

第一章 「時」の伝えるもの
第二章 文化とはなにか
第三章 文化の用語
第四章 三本の柱
第五章 文化はコミュニケイションである
第六章 「個」はいたる所にある
第七章 「素」はとらえがたい
第八章 「型」は組織する
第九章 「時」は語る/アメリカの「時」について
第十章 「空間」は語る
第十一章 鎖をゆるめるために
訳者あとがき
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